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岩手・今泉街道 摺沢と大原の街並み

岩手県、内陸の一関と沿岸部の陸前高田を東西に結んでいた今泉街道(気仙街道)。
ほぼ現在のR343の道筋だが、街道沿いのかつての宿場町の中には、今も昔日の面影を残す街並みが残されているものもある。
今回、遠野に向かう道すがら、そのうちのふたつ、摺沢と大原の町を訪ねてみた。

摺沢の街並み

奥州街道から分岐した今泉街道は、松川、東山(現在の猊鼻渓駅周辺)の宿場を経てこの摺沢に至った。
摺沢の旧宿場町はJR摺沢駅からすこし離れた国道沿いに広がっている。国道沿いに続く土蔵作りの商家の家並みは、明治期から養蚕業で栄えた頃につくられたという。

街並みを貫いている街道はそのまま国道となっており、けっこう交通量があるため、建物も埃や煤煙のため薄汚れたものが多い。撮影するのもクルマに気をつけなければならない。

表通りから奥に入った通りに蔵町通りと名付けられた一角があるようなので行ってみる。
こちらは昔ながらの裏通りの細い道で、名の通り蔵が立ち並ぶ。散策向きのよい雰囲気の道だった。

大原の街並み

摺沢から陸前高田に向かう今泉街道、次の宿場は大原である。
国道のクルマの流れはこの中心街を外れて通っているので、摺沢に比べのんびりと街並みを味わうことができる。

岩幸商店

店先は荒物屋なのに「中華そば」の暖簾を掲げる謎の店が。
その謎を解くためわれわれはこの岩幸商店に潜入した。

入ってみるとそこはやはり荒物屋なんだけど、店の奥に「食堂」と記された一角が。
祭壇のような、秘密結社のような雰囲気に圧倒されながら、われわれはおそるおそる足を踏み入れた。
そこで起こったことは「荒物屋かと思って奥に入ったらそこだけラーメン屋だった」。
何を言ってるかわからねーと思うが、ラーメン450円を頼んだら店の造り同様の懐かしい昭和の味でたいへんおいしかった。
店内に飾られた岡持は、この町の電話番号が2桁で用足りた時代から出前で繁盛していたことを偲ばせる。

【おまけ】JR大船渡線のヘンな線形について

地図を見てみると、一関を出て西に向かうJR大船渡線は陸中門崎を過ぎると突然直角に北に向かい、その先摺沢からふたたび直角に南の千厩に向かう。やたらムダに遠回りである。

なんでこんなカクカク遠回りをと思って調べてみると、大正時代に同線が建設された際の摺沢VS千厩各々選出議員バトルの結果であるということがわかった。

「当初の計画では門崎から真直ぐに千廐へ抜けることになっていた。
しかし岩手県出身の原敬率いる立憲政友会の後押しで千廐の北にある摺沢から立候補した佐藤良平が1920年の総選挙で当選したことで、摺沢を経由して千厩を通らずに直接大船渡へ向かうように計画が変更された。
一方、千厩ではその後憲政会に頼って誘致を展開し、1924年の総選挙で憲政会が勝利すると、摺沢から千厩へ抜けるように再び計画が変更され、現在の線形となった』

当初は摺沢からまっすぐ東に向かうルートだったのを、選挙結果によるパワーバランスの巻き返しにより無理やり千厩に経由に変更されたのだった。
まあ結果として有名観光地である猊鼻渓、それに大東地域の玄関口摺沢をも鉄道は通ることになったので後世からすればそれはよかったことなのであろう。

Wikipedia
これは後日天気のいい日に再訪した時の大原


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