見出し画像

プリチャンの思い出を語るスレ

 2022年2月28日(月)をもってプリチャンが稼働終了となる。ついにこの時が来てしまった。
 後継の「ワッチャプリマジ!」が稼働して以降は更新もほぼなく、実質的にサービス終了の状態が続いていたものの、筐体自体は残っており細々と稼働し続けていた本作だが、この度正式にサービス終了の運びとなった。
 理由としては、筐体の寿命や印刷用紙の問題が大きいのだろう。特に印刷用紙は、排出されるカードの仕様がプリマジで大きく変更となったため、過去作のためだけに専用用紙を供給し続けるのは難しい、となるのは自然な判断だ。

 振り返った思い出が「楽しかった」という気持ちばかりだから、自分にとって本当に心から楽しめたゲームだったのだと思う。

 当時、自分は主にゲームセンターで対戦ゲームばかりをプレイしていた。この界隈に馴染みのない人にはピンとこないかもしれないが、ことアーケードの対戦ゲームという分野は完全なる実力主義の世界である。とにかく強さだけが絶対視される風潮にあり、プレイヤーの発言力の大きさは完全に実力に比例する。人格など二の次であり、そもそも社会で口に出すのがはばかられるようなスラングが平気で飛び交う世界だ。
 現在はe-sportsという分野の発展と、またそれに伴うプロプレイヤーのSNS上での炎上が散見されるが、その根底にあるのは、この「一般的な常識とは隔絶された世界における文化」の延長上に我々が立っていることが原因であるように強く感じられる。基本的にアーケードゲーマーは、社会性を捨てて相手を分からせることだけを考えて生きてきたどうしようもない人間の集まりだ。とつぜん日陰から現実に引っ張りだされても、求められる立ち回りがあまりにも違いすぎる。
 だが、現代社会においてここまでストイックに「競争」自体が取り沙汰される世界というのもそうないだろう。e-sportsには懐疑的な自分だが、その競争に伴う果てのない自己研鑽という本質的な構造だけは、確かにスポーツと捉えられなくもない。

 話を戻そう。そんなこんなで対戦ゲームに明け暮れていた自分は、端的に言うと競争に疲れていた。あと同時期に仕事を辞めていたこともあって、まあそれはもう色々と疲れていた。美味いと評判のラーメン屋に行ったら味が全く感じられなくて、思わず食べログに☆1を付けそうになった。そんな感じだ。
 そんな折に、ふとしたきっかけで触れたプリチャンは、自分にとってある種の転換点のひとつであったように思う。「その分野における第一人者にならなければ存在する価値はない」という思想にとらわれていた自分にとって、「自らが楽しむことだけを目的とするゲーム」の存在は衝撃的だった。とりわけ、二次元の美少女に対する傾倒と倒錯が甚だしい自分との親和性は高く、すぐにのめり込んだ。女児アニメを見るようになったのはこの時からだ。すぐにdアニメストアでプリチャンを視聴して、まあこの女にドハマりした。

画像3


 虹ノ咲だいあである。この人間に関して発を言すると長くなるので割愛するが、個人的に感じるものが多く、シリーズ中どころか人生の中でも最上位に好きなキャラクターになった。
 それからプリチャン、プリパラ、プリリズと関連コンテンツを漁り続け、女児向けアニメだからこそ表現できる、純粋な心の「眩しさ」に魂を惹かれた。

 女児アニメで描かれる世界は、虚構であり所詮は綺麗ごとだ。描かれていることは偽りであり、欺瞞でしかない。善い人間が必ず報われるほど世界は正しくないし、誰もが皆、主人公ではない。
 だけど、そのことを知っている我々のような人間が、それでも子どもという純真な魂に対して語りかけるための物語として創出されているからこそ、この偽りには価値がある。それはある種、ひとつの宗教のようなものだ。しかしそれは信仰ではなく祈りに近い。「こうあって欲しい」と願う者たちの生み出す共同幻想という名の、純粋な理想とその美しさ。その無垢な輝きに対する崇敬と祈りこそが、女児アニメの正体であると個人的には感じている。

 プリチャンが終わっても、その輝きが消えることはない。現実という嵐の中に視えた、たったひとつの輝き。それは今でも胸に焼き付いて離れない。その眩しさだけを信じて、ぼくらは今日も歩いてゆくのだ。さよならだけど、さよならじゃない。らぁらたちが教えてくれた大切なことだ。

画像1


 人生をやっていくのは大変だし、むしろやっていきたくなる瞬間しかない。そんな時は足を止めてプリチャンに思いを馳せよう。それはプリリズでもいいし、プリパラでもいいし、プリマジでもいい。立ち止まって周りを見渡せば、世界の広さに気づくことだろう。「寄り道、脇道、回り道。しかしそれらも全て道」だ。それプリキュアじゃん!

 さよなら!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?