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最高のTVアニメ『スーパーカブ』の舞台探訪に行った話

『山梨県北杜市。中央本線の日野春駅から伸びる下り坂は、甲州街道を越えるとゆるい上りになる』

 アニメ『スーパーカブ』第1話冒頭で、主人公・小熊が最初に発する台詞だ。
 その意味するところを知識として識っていても、身をもって体感するとでは大きな違いだった。

 さて、アニメ冒頭に登場する日野春駅は、七里岩と呼ばれる特殊な地形の上に位置している。小熊の住む県営住宅日野春団地も、このほど近くに位置する。
 ふもとの標高差は100mほどで、往来に際してはもはや軽い登山の域だ。道は一本しかなく、集落まではつづら折りの坂道を行き来することになり、これが『日野春駅から伸びる下り坂』ということになる。この時点で、通学というルーチンに占めるウェイトにしては、なかなかに穏やかでないことが分かる。

日野春駅が標高約600mで、約100mの高低差がある
中央のつづら折りの下り坂を小熊は毎日通っている
行きは良いが帰りは相当しんどい


団地前の道路。あまりにも見慣れた光景で、実際感動する

 前置きをしておくと、武川町は好い土地だ。風光明媚という言葉がこれほど似合う場所もない。人も少なく、旅行客も(我々のような人間以外は)いないため、「夏休みに田舎の親戚の家に遊びに来た感じ」のようなノスタルジーを感じられる。
 それでいて寒村という印象は受けず、そこで生活する人たちが日々を静かに暮らしている、景観と調和したその風景はとても「自然」だと思った。

 けれど、それは余所者としてたまに訪れるからこそ抱く感覚であり、この土地で生きる「ないないの少女」にとって、この「豊か」な大地が鳥籠でもあったことは想像に難くない。

 作中では、小熊は自らが「ないないの少女」であることを自分自身の問題だと捉えており、原因を外的要因に依拠する描写はない。『親はいない。お金もない。趣味もないし、友だちと呼べる人も、将来の目標もない』として、自らの人生が豊かでないのは内的要因によるものであるとし、そうであるが故に物事を諦観している。

 だが、余所者である我々からすると、彼女にとってこの土地の「選択肢のなさ」は十分に致命的であるように思えた。「コンビニもないし、スーパーも一店舗しかない。毎日昼食に食べるレトルトの丼物だって、選択肢がほとんどない。ないないなのは君だけのせいじゃないんだよ」と。

 変な話だが、本作品は舞台が山梨県北杜市という田舎町(失礼な言い方をすると)でなければ成立していない物語だ。
 急峻な地形と過酷な気候、地方特有の商業施設の少なさと不便な交通網。それらの環境によって、世界の連続性と自身の可能性から断絶していた小熊が、スーパーカブによってその実感を与えられ、気づきを得ることが本作の肝となっている。
 そうしたテーマ性は、帰り道にコンビニやゲーセンや本屋が不自由なく林立し、電車の待ち時間が10分以下という都会が舞台では成立し得ない。
 山梨県北杜市に住む小熊であったからこそ、彼女にとってスーパーカブは「まほうのかぜ」足り得たのだ。

町で唯一の商店である「スーパーおの」
地域密着型だがスーパーカブのパネルやコーナーが設置されており、愛を感じた

 アニメの舞台として実際の土地がモデルになることは今となっては珍しいことではないが、「そこがモデル地であることの必然性」や、実際に訪れることが作品理解の一助となったり、作品自体の解像度が深まるというケースは稀である。
 そういう意味で本当に素晴らしいアニメ作品であるし、視聴済みで興味のある方はぜひ一度訪れてみることをオススメする。背景美術の緻密さと正確さに心底から驚かされるだろう。
 自分が特に驚いたのは、山岳へ沈む太陽の位置と角度においてまで徹底したリアリティを追求していた点だ。ロケハンの徹底ぶりと「本気」を窺い知ることができる。

何度も見たのに初めて見る風景
知らないはずなのに知っている感覚


【余談】ねこ道について

 椎ちゃんが遭難した「ねこ道」について。
 Googleマップには史跡としての登録があるが、推測するにこれはアニメ放送後に有志の方が追加したもので、もともと地理的に存在していたものではないと思われる。
 作中の描写や現場の状況から鑑みるに、恐らく「ねこ道」に該当する道路は現実には存在せず、フィクションであると考えるのが妥当だろう。

第10話で、団地から出た小熊がねこ道に入る椎を目撃するシーンの該当場所
作中では、ここから北東の日野春駅に通じるショートカットが存在していると思われる
実際にはこのように藪になっている

 ちなみに現地には「野猿返し」と呼ばれる獣道が存在し、こちらは実際に日野春駅〜武川間のショートカットとして通行することができる。
 ではここが「ねこ道」なのか? というとまず違うだろう。
 一度通ってみるとわかるが、この箇所は文字通りの獣道であり、とてもじゃないが自転車で通行できる場所ではない。ましてや冬場など自殺行為である。そのため、あくまで「元ネタとなった道」というのが真相だろう。

こんな感じで倒木が立ち塞がっていたりする
かなりデンジャラスだ

 駅から徒歩で移動する場合には本道を利用するのも選択肢となるが、結構普通に険しいので滑落には十分注意したほうがよい。あと虫もいっぱいいる。

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