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ブレーキの踏み方 (2024年9月の日記)

つい何年か前まで、数ヶ月おきに頭の中がショートしては回復し、またショートしては回復し、という落ち着かない日常を繰り返していた。その理由を考えてみると、恐らくそれは目の前に数多横たわっている情報との上手な付き合い方を心得ていなかったからで。

多趣味かつ、興味を持った全ての物事の解像度を高めていかなければ満足いかない人間の宿命かもしれないけれど、デスクの上に多方面なジャンルの書籍が積み上がり、またパソコンのブラウザには読みたい記事が山ほどストックされているのは日常で、これらを咀嚼して消化し、この世界に対する理解度がまた一段と高まっていくことが楽しくてしょうがなくて。けれど情報を詰め込み過ぎた反動で頭の中にノイズが発生しているのに気が付きつつも、目の前にあるものたちがそれはそれは魅力的で探求するのを止められず、結局ある日ショートして全てをシャットアウトしたい気分になる、みたいな事が度々起こっていた。

こんな時には、散らかっている書籍を全て定位置に戻し、パソコンやスマホはすぐさまシャットダウンして、スーパーカブを走らせながら適当に買って帰った食いもんと一緒にジンなんかを楽しむことにしていた。そういうのを数日間続けると次第に回復してきて、また世界に立体感が戻ってくる。

けれどこんな半ば破滅的な所業はもう止めにしようと思い立ったのと、より一層内面がオトナになったこともあり、ここ数年で頭の中のノイズに気が付いたその瞬間に”無の時間”を強制的に設けられるようになってきて、ショートすることが無くなった。えらい。とてもえらい。ショートしない方が、好きなものを好きなままでいられる気がしている。

つい先日も「これもうちょい突っ込んだらショートしちゃうわ」って悟ったから、机上の全てを投げ出して山へと出かけた。夏の時期の登山道、しかも普段人々の往来が少ない登山道は、蜘蛛が我が物顔で図々しく巣を張っているから実はあんまり好きじゃない。蜘蛛が苦手な俺は、夢中で歩みを進めていると突如目の前に出現するそれに対して「うわあああ!!!」と発狂しつつも、人ん家を壊すのはやっぱり気が引けるから、面倒臭いけど出来るだけ傷つけないようにその下を潜りつつ進む。優しい心の持ち主なので()

こんな風に、暑い時期の登山は俺にとって決して快適な訳ではないけれど、ひとたび道中でクサギやクズ、センニンソウの花に顔を埋めれば、蜘蛛の巣のことなんて一瞬で頭から吹き飛んで、気がつけば辺りは香りの楽園へと変貌している。山頂からデカい景色を眺めれば、発生していたノイズは収まり、「あのページの続きが気になるな」って気持ちがまた沸々と再燃してくる。


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