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灯火 (2024年2月の日記)

あと数日で、待ちに待った立春がやってくる。
今年度はいくら暖冬といえども、数年間南国の生ぬるい空気に浸りながら暮らした代償はとても大きくて、ちゃんと寒かった。
ちゃんと。
立春が来ても、もう少し寒い日は続いていくだろうけど、もうこれ以上寒くならないよ、って約束されることは、寒くて薄暗い部屋の中に小さな灯火が灯されたような感覚をもたらす。
そして旧暦でいうと、2月10日にはお正月がやってくる。
中国みたいに爆竹を大量に打ち鳴らす!!! 訳にはいかないけれど、最近はようやく月の動きも意識しながら生活できるようになってきているんだ、そんな自分の成長を祝ってたまには大酒でも浴びたいなあ。

ここ1ヶ月は、インプットが必要なタイミングが到来したので、本を大量に読んだり、知人の所へと学びに行ったりした。
というのも、親戚から「畑使っていいよー」って言ってもらえたから、春の畝立てと種まきに向けて急遽備える必要が出てきてのこと。
育てたい作物とその品種を羅列して、それらの育て方について勉強して、コンパニオンプランツという互いに相性の良い作物について勉強して、ネットで種子を買い揃えて、知人の畑へ畝立てを学びに行って、実際使う畑の整理や草刈りをして。
アウトプットには時間を割くことができなかったけれど、頭と体をバランスよくフル回転させることができた1ヶ月だった。
そしてこのような作業をしていると確かに感じる、途轍もない多幸感を。
たとえ作業時間がたったの1,2時間だったとしても、はたまた作業内容が修業のような草取りの繰り返しだったとしても、確かに感じる、無限の多幸感を。
畑作業の後は、頭の中や体中が暖色でぽかぽかとした感覚に優しく包み込まれ、シンプルな食事が至高に感じられ、ストンと気持ちよく入眠できる。
自分の内側に出現したこんな感覚こそが、窓の外へと向かう階段への道標であって、その感覚を正面から素直に受け取りながら生きることこそが、最も重要なんじゃないかと最近思ったりする。


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