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ジョージア🇬🇪に来て1ヶ月で心を病んだ原因を分析してみた。

こんにちは😄はるりです🌿
私はこのブログで、
ジョージアのリアルな情報と
ジョージアに来ることを決意した自分の考えや気持ちを発信しています🌼


ジョージアに始めてやってきたのが2021年の3月。

あれから1年以上経ち、私の生活スタイルも大きく変わりました。
今の生活についてはまた別の記事で書くことにして、今回は始めてここにきた当時の気持ちを振り返るような記事を書きたいと思います。

渡航前は、新しい生活、新しい職場、新しい出会いに意気揚々とした気持ちをジョージアに対して抱いていたわたし。

ガラガラポンで派遣されることになったジョージアに対して大きな期待と希望を持っていました。

ただ、新たな生活を始めて1ヶ月経ったくらいから、当初のポジティブな気持ちがガクンとなくなり、塞ぎ込むような毎日を過ごすようになりました。

嫌なことがあったとしても良いところに目を向けるようにしないと、吸収できるものも吸収できなくなる。なんて、意識の高いことを周りに言ってました。

初めの頃は外に出ていろんな人に会おうと頑張ってたけど、徐々に外にろくに出ないようになり、日本に帰りたいって思うように。

この国のことがぜんぜん好きじゃなくなり、僻んだ気持ちで過ごすようになっていました。

趣味や気の合う友達もいなくて孤独な気持ちでした。

しまいには体調にも影響が出てきて・・

毎月規則的にきていた生理が2ヶ月止まったり、帯状発疹が出たり、髪の毛が抜けたりなど。

あの頃の気持ちを書いてたノートを見つけたので、当時の自分を弔うようなつもりでこの記事を書いてみます。

仕事や留学で、第一希望の国ではないところに行くことになった人たちに何か参考になれば嬉しいです(  ・ᴗ・ )

当時の彼氏とのLINE①

①期待が大きすぎた。

まず、渡航前に私はこの国のことについて、ネットやYouTubeで軽く見た情報だけで何も知りませんでした。

海外で働くことは、幼い頃からの夢だったけど、私にとっての「海外」とは、英語が誰でも話せる国で、キラキラな大都会でした。

ジョージアも全然よく知らなかったけど、東ヨーロッパの括りに入っているし、首都だったらまあ大都会だろう、というくらいの感覚でいました。

遂に、幼い頃の夢を叶える時がきた!よく分かんないけどキラキラとした生活が送れるぞ!みたいな気持ちで渡航しました。

ただ、実際は、自分の期待とはものすごい大きなギャップがありました。

首都トビリシはコンパクトな街で数日でメインの観光地も巡れてしまえるほど。

自分の夢に対する理想や期待があまりに強すぎたせいで、それに当てはまっていないことにに、柔軟に対応することができませんでした。

②言葉が通じない。

これって意外と猛烈なストレスでした。

この国で使われている第一言語はジョージア語。

ソ連に統合されていた歴史があることから、ロシア語も街の中に溢れています。

どちらも、アルファベットではない言語です。
街の中の看板やスーパーで陳列されているものなど、読めない言語で身の回りを囲まれていることで更に孤独感が強まりました。

スーパーの品物はジョージア語かロシア語。家の電化製品もロシア語がメイン。

スーパーの店員や薬局の店員など、簡単な英語は通じるけど、プラスで質問しても通じないことが多々あり。

ちょっとしたことをしようとしてもいちいち時間がかかったり、人の助けがいるのがとてもストレスでした。

③当たり前だったことが当たり前でなくなったこと。

海外に行ってるんだからそりゃそうやろっていう感じではあるのですが、ここでいうのはもっと死活問題的なとこ。

水道や電気、ガスが月に数回必ず止まっていました。特に、水道は止まったら5時間〜10時間程度止まることが多々あり。

家に帰って手を洗おうとしても手を洗えない。寝る前にお風呂に入りたくてもお風呂に入れないことはとてもきつかったです・・・

また、私はアイスコーヒーが大好きで、仕事前やカフェで作業するときの必需品でした。

けど、この国のアイスコーヒーはアイスアメリカーノでエスプレッソの水割。配分もお店によって、店員によってマチマチのクオリテイなので、美味しくありません。

初めのうちはこれもとてもストレスで、早く日本に帰ってコンビニのアイスコーヒーを早く飲みたいと感じていました。

時間にあまりにもルーズなのもイライラポイントでした。
30分から1時間遅れるのは日常茶飯事。

病院で11時に予約しても、医者が来るのは12時前。

会社員時代に、キチッとするように叩き込まれていた私は、このゆるゆるさに対応することが困難でした(T_T)

当時の彼氏とのLINE②



さて、こういった状況だった私がどうやって持ち直したか。

9月に1ヶ月ほど日本に帰ってリフレッシュしたことがいちばん大きかったけど、それ以外に私がポジティブに毎日生活できるようにしてきたかについていくつかご紹介したいと思います。

■ルーティーンを作る。


当たり前だったことが当たり前でなくなったことを書いたけど、そのときに気を紛らわせられるような新しいことを初めてみました。

例えば、当時住んでた家は一人暮らしの私には広すぎるところでした。

なので、おうち時間を充実させようと、日本ではぜんぜんやっていなかったこんなことを始めてみました🌟

・湯船に1時間浸かる
・料理を始めてみる
・youtubeのエクササイイズ

とりあえず、初めのうちは無理やりでも継続するようにすればいつの間にかルーティーンになり、
逆にやらないと気持ちが悪くなるような気持ちになるまで続けてみました。

■この場所を好きな人と関わる。

これがいちばん効果的でした。

この場所を好きな人と関わることで、その人の目線では街がどうみえているのか、私がネガティブに感じていることについてその人たちはどう感じているかについて知ることは、結果的に私のネガティブなメンタリティを変えることに繋がりました。

当時は街の見え方がとても偏っていた私。

ちょっとした嫌なことがあった時に、「はぁ、まただ。」ってヘイトの気持ちが募ってました。

ジョージアには、日本から環境を変えて心機一転してジョージアにきた人が多かったです。

彼らに、どういったところに魅力を感じているのか、なんで自ら進んでこの国にこようと思ったか、新たな視点に触れることでがどれだけ偏っているのか気づくことができました。

■割り切ること!

嫌なことやできないこと、期待と違ったことがあったときになかなか切り替えれない、ということに気づきました。

すぐにその性格を変えることができないけど、これを受け入れることはできるようになったと思います。

ちょうど、最近みつけた心に残った言葉。

Be OK with what you ultimately cant do, because there is so much you CAN do.   -Sam Berns

-できないことは放っとこ。だって、できることがたっくさんあるんだから。


◇◆◇◆

そんなこんなで年末年始休暇が明けた2022年の1月からは、気の合う友達も増え、生活がとっても充実してきました。

4月初旬に仕事の契約が切れ、日本に帰ったけど、6月末にはフリーの身となって帰ってきた私。

去年の4月から6月頃は、ジョージアが嫌すぎて、一刻も早く日本に帰りたく、もはや行くことを決意した自分を呪っていたのに。

ほんと、人生って何が起こるか分かりませんね😉

peace✌️






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