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ディズニーランド。泥と埃と飢えと憧れ。

ウォルトディズニーは、キャッチボールが苦手だった。

貧しくて、子供の頃から、朝から晩まで働いていたから。
キャッチボールなんてしかたことなかった。

子供の頃、昼夜働いていたマーセリンというところは、
冬には、家の前の納屋にいくまでに
へたをすると凍死してしまうこともあるほど
自然の厳しいところ。

そこにあるのは、泥と埃と飢え。

ウォルトのお父さんは、いくつも職を変えた。
家は、いつも貧しく、厳しく、上のお兄さんたちは
耐えかねて家出した。

お父さんは家族がパンにバターを
塗るのを禁止していた。
お母さんは朝食のときこっそりバターを塗ったパンを裏返して
こどもたちにくばった。

すぐ上のお兄さんが家出するとき、
弟のウォルトに言った。

「お父さんの体罰をがまんしちゃだめだよ」

お父さんは、よく、木の枝でウォルトを激しくたたいた。
それが、お父さんのストレスの発露だった。

ウォルトは、それでお父さんの気が済むなら

と思っていた。

ディズニーランドの原点となるコンセプトは、

いつでもきれいで、お腹いっぱい食べれて、
親も子どもも仲良く、たのしめるところ。

その夢は、泥と埃と飢えからはじまった。

ウォルトは、やがて映画の道を志す。

でも、失敗の連続だった。

自分の作品の権利と自らのスタッフをねこそぎ
だまし取られたりした。

※自分の命である作品と
自分の同胞を、まるごとだましとられて
人間は再生できるものなのだろうか。

やがてアニメーションのヒット作品を次々に作り出す。

白雪姫、ピノキオ、ファンタジア、ダンボ、バンビ、アリス、ピーターパン、眠れる森の美女。

革新技術、マルチプレーンカメラは、初期の白雪姫から導入されている。

背景画の変遷は、革新に次ぐ革新だ。

ビートルズの、ラバーソウル、サージェントペパー、アビーロード
みたいな革新の連打。

ウォルトは、あきたらなくなる。

映画は、フィルム会社に納品したら、もういじれない。

だったら、ずっと創り続けられるものをつくろう。

しかも、そこは、

いつでもきれいで、お腹いっぱい食べれて、
親も子どもも、たのしめるところ。

あまり知らないひとがいるけど、

ディズニーランドは、家族で遊べる公共的なパークではない。

ウォルトの作品なのだ。

恐ろしいことに、入園者は、主役ではない。

「ゲスト」と呼ばれる。

スタッフの方が、「キャスト」と呼ばれる。

3次元の立体的な作品に招待されるゲスト。

作品であり、舞台。

だから、あの場所は、映画の美術スタッフの
渾身の舞台美術が学べる。

たとえば、汚し、と呼ばれる舞台美術。

ディズニーシーのトランジットスチーマーラインの
メディテレーニアンハーバーの乗り場の手すりには、
鳩の糞が描かれている。

そこに、本物の鳩が巣をつくった。

つくりもの、こどもだまし、と言われてる間に
夢を現実が模倣しはじめる。

これは、あまり知られてないけど、よくあること。

夢を現実が模倣する。

※そうだな、たとえば、フランス オーヴェルの麦畑は
永遠にゴッホの麦畑だ。

ディズニーランドの植栽は、約500種の植物で構成され、
そのすべてが完璧にコントロールされている。

ジャングルクルーズのジャングルに
鳥が運んできて発芽した新しい木の芽の
どれを摘んでどれを生かすか判断されている。

ここは、憧れの夢の国。

ならば本気でつくる。

迷子放送はしない。(昼夜600人の現場スタッフがインカムで連携する)
日本語表示は最小限。
ほとんどのトイレの洗面の前に
鏡は置かない。

憧れの夢の国だから。

アメリカ、東京、香港、フランスの
ランドの色彩設計は、たったひとりのスタッフが行っている。
地面の色まで。

色彩設計のような生理的感覚のものは、
ひとりがやった方が絶対に成功する。

そして、絶対に成功させなければならない。

憧れの夢の国をつくるのだから。

色彩設計、照明設計、
建築様式、植栽設計、
そしてネーミング(ピノキオの手前のワゴンは、ストロンボリーズワゴン)

童心に戻る、というけれど
戻らざるおえない。

まだなにもしらない。
そして学ぶべきことは、この中にも、ここが影響を受けた世界中にも
たっぷりと用意されている。

学ぶべきことが多すぎるとひとはどうなるか。

夢見心地になる。

これを偽物と思うのもよくわかる。

ローリングストーンズはブルースに憧れて
その後50年にわたる歴史をスタートさせた。

あるインタビューで

あなたたちは、かつてあなた方が憧れた
ブルースマンのように
ブルースをものにしましたか?

と聞かれてキースリチャーズは、こう答える。

ブルースマンのように?
だって彼ら本物だぜ。
おれたちなんてまだまだ

この謙虚さと
強い憧れが
50年にわたるバンドの航海をかなえ続けてきた。

強い憧れ

それこそが、その鉄とガラスを
溶かし、ジンと熱い芯となった。

そして文化は、時に、
いや、しばしば、
その憧れの熱く溶ける
芯によって花開き、
多くのひとの
心をやわらくとろけさせた。

ランドの入り口
ワールドバザールの手前
植栽に溶け込んだ
いくつものウーファーが

重低音をきかせ
チャイコフスキーの
くるみ割り人形の花のワルツを
奏でている

チャイコフスキーは

堅苦しい教養の教材として
花のワルツをつくったわけでは
もちろんない

いっときの夢を見る
ために冬の長いロシアで
このワルツを紡いだ

であるなら
このディズニーランドでの
使い方はいちばん
作曲家の意図に近いのではないか

快晴の青空の下
美しい城のたもと
家族とおとぎばなしの
主人公たちのそばで
重低音を響かせる
チャイコフスキー。

こんな場所が
いまこの世界にある

それは
入り口なのだとおもう。

クラッシック芸術の
童話芸術の
建築芸術の
色彩、照明、ネーミング

文化の入り口

そして強い憧れの入り口

偽物?子供だまし?

憧れてなにが悪い

でも、たとえば
チャイコフスキーって
いいなと思うきっかけが
入り口がここにある

アメリカ河には
ミシシッピー河から
空輸した本物の
ミシシッピー河の水が
注ぎこまれてる

シンデレラ城の壁面のタイルは
イタリアの職人が
一年をかけてつくった

その憧れは、本物なのだ

だから本物の憧れに会いにいく。

そして偽物だろうが
キャッチボールが苦手だろうが
現実の世界が厳しかろうが

鉄とガラスを溶かす強い憧れが
いったいなにを
出現させたかを確かめる

そして、憧れる、
ということを学ぶ

いや、憧れる、ということを
許される

そして、ただの憧れが
ここまでのものを
なしとげることがある
という事実に救われる。

バンビの、白雪姫の、あの流麗な動き、
あれは、美しいものへの、この世界への憧れだった。

憧れるなら
できる。

こちらの領域だ

ウォルトは言いそうだ

「きみにも
憧れるならできるでしょう

僕にもそれしか無かったよ。」

ディズニーランドホテルに
泊まった夜に、部屋のまどから
シンデレラ城を見てたら
城にクリスマスの映像を
うつしていた。

映像はいつか雪になり
シンデレラ城だけに
雪が降りしきっていた。

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