#YOASOBI武道館ライブ公式レポーター認定試験
<解答用紙>
問1.
①[ B ]
②[ C ]
③[ A ]
④[ B ]
問2.
①[ おはようございます。]
②[ D ]
③仕事が長引いて娘が受けるスイミングクラブの進級テストに間に合わないかもしれず、もし間に合わなかったときに落胆させないように予め行けない可能性があることを伝えるため。
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問3.
-選んだ楽曲タイトル [ 三原色 ]
-その曲とあなたの出会いやその曲に対する思い入れ
はじめに
まず、この回答のために、
YOASOBIの楽曲との出会いに対しての思いを述べたい。
ちょうど2年前にiTunesで見知らぬアーティストと出会った。
『夜に駆ける』という曲を再生したことが全ての始まりだった。
誰かを追いかけているような悲しさがありながら、躍る心を止められない疾走感のあるリズム。歌い手の顔が想像しにくいような、どこか無機質な透き通る声なのに、誰よりも心に届く人間らしい情緒を帯びた歌声。あらゆる要素が入り混じるのに、整然とした美しさのある世界観に私は心を奪われた。
それ以来、YOASOBIが発表する一曲一曲との出会いを楽しみに生きている。
YOASOBIの楽曲との出会いは自分にとって、もはや新しい「人」と出会っている気分だ。
ikuraさんが「YOASOBIのikuraは小説の主人公として歌を乗せるということを意識している」と言う通りに、Ayaseさんが小説を音と言葉の組成で歌に変え、ikuraさんが物語の一人ひとりを憑依させて歌う。だからこそ、私はそれぞれの楽曲で新しい誰かに出会っては、大事なメッセージを渡してもらえた気持ちになるのだ。楽曲に人の体温が感じられる「命」を吹き込んでいるのは、Ayaseさんとikuraさんだからできることだ。
前置きが長くなったが、ここから先が問いへの回答だ。
ただし、これまでの導入の通り、楽曲を「人」になぞらえて、楽曲との出会いや思い入れ、そして受け取ったことを物語風に綴りたい。
出会い
「はじめまして!今日からお世話になります、三原 色(ミハラ シキ)です!よろしくお願いします!」
新型コロナウイルスが猛威を振るって1年が過ぎた。
季節は再び春になっていた。
生活様式がガラリと変わり、今までの常識がある日を境に非常識になった。パラレルワールドに放り込まれたような日々を未だに生きている。私の勤める会社も御多分に洩れず在宅勤務に移行した。毎日家の中で大半を過ごし、四季の移ろいを感じにくい生活だ。その中で中途社員として同じ部署にやってきた「三原 色(ミハラ シキ)」との新たな出会いは、久々に春らしい季節の色を感じた。
三原は底抜けに明るかった。リモート環境で人との距離を詰めるのも難しいはずなのに、「ずっと一緒に働いていたっけ?」と錯覚するくらい職場に馴染むのが早かった。前奏で心を掴むような第一印象の爽やかさで自らの居場所を作っていく姿は、羨ましくもあった。そして、ラップまでできる引き出しの多さにも感服した。三原はすぐに人気者になった。
程なくして、三原の歓迎会が部署内で行われた。もちろん、リモートだ。
三原は持ち前の明るさで軽快にエピソードトークを展開していた。
「そういえばこの前、小学校の時に仲が良かった3人と再会したんですよ」
聞けば、同じマンションに住んでいた同級生の友人とリモート飲み会をしたらしい。久々にSNSでメッセージが来たことがきっかけで、10数年ぶりに旧交を温めたという。
「二人とも面影なさすぎて、一瞬誰か分からなかったんですよ。しかも、自分以外はもう結婚していて。昔は同じ気持ちで同じ時を過ごしたのに、全然違う人生を送っているんだなと思いました」
「でも昔話をして笑い合っているうちに、やっぱり変わらないなーと安心する面もあって。めっちゃ楽しかったので今度3人で遊ぶことになりました。まあ、時計の針が動き出したってやつですね」
私は三原のトークに引き込まれていた。人と会うことが難しい時勢や私自身が20代を終えようとしている年齢も相まって、別々に進んでいたそれぞれの人生が再び交差する三原の話に一種のときめきを感じていた。小学生から社会人へライフステージが変わると、親しくても疎遠になってしまう友人が生まれるのは世の常だ。「また今度ね」と、明日も会えそうな雰囲気でさようならをするから、目まぐるしい毎日を送る中で、最後に会った日すら忘れてしまう。
でも三原の話を聞いていると、それでもいいのかもしれないと不思議と前向きになれた。
知らず知らず疎遠になっても、理由なく連絡してもいいし、人生が深く重なり合った友人だからこそ、途絶えた日々の続きを再び始められることができる。三原からこの世界の秘密の教えを授かったようであった。
と同時に、三原は言っていないが、もう一つ大事なことを受け取った。
それは「今通じ合うことができれば、その瞬間が戻れない過去になっても、思い出としていつでも戻ってこられる“交点”となる」というメッセージだ。
私は三原の話を聞きながら、昔の親しい友人ではなく自分の家族を重ねていた。なぜかというと、妹の結婚式が執り行われたばかりだったからだ。
回顧
私は数年前、社会人になる時に実家を出た。
後を追うように妹も家を出た。そして結婚した。
私にとっては家を出た日から、変わらずに家族の関係であっても、どこか“家族”としての物語は止まっているように感じていた。さらに妹が家を出て、より一層、家族はそれぞれの場所で別々の人生を生きるようになった。一堂に会することすらも、珍しくなってしまった。
そして結婚式の日、共に長い時間を同じ屋根の下で過ごしてきた妹が別の家族の一員として迎えられる。今日という日が終わっても、これまで通り家族同士であることは変わらないが、久々に再会したのに、今日が終われば今まで以上に人生が離れていく。寂しい気持ちがした。
そんな家庭を長年引っ張ってきて、わかりやすく妹の結婚に反対していた父親はどんな気持ちでいるのだろう。披露宴のプログラムには、父のスピーチが組み込まれていた。そして父はスピーチで話さなかった。代わりに人生で初めて、人前でサックスを演奏した。サックスは妹が学生時代を共に過ごした思い入れのある楽器だ。この日のために、母以外には内緒で4年間、陰で練習をしていた。口下手な父らしいやり方だ。
「親」「妹」「私」という拠点を別にする”三色”が再び集まった日に、父が変わらない人間性をもって妹の門出を精いっぱい送り出そうとする姿を見て、私の中で止まったと思っていた家族の時が動き出したような気がした。涙の止まらない妹のウエディングドレスが、その日最も“白く”輝いて見えた。父の奏でる音楽は、そのファンファーレの役目を果たしたのだ。
ここでもう一度で会えたんだよ
僕ら繋がっていたんだずっと
話したいこと 伝えたいことって
溢れて止まらないから
ほら ほどけていやしないよ、きっと
回帰
話を戻そう。
三原の物語は、私の中では自分の家族と重なった。
父は「今」を一生懸命に奏でた。音楽とともに送り出すことが全力のエールであり、いつでも帰ってきやすい場を同時に作っていたのではないか。二度と来ない今を通じ合うことができれば、その瞬間が戻れない過去になっても、思い出としていつでも戻ってこられる“交点”となる。そして、未来でもまたつながれるのかもしれない。『三原色』との出会いが私に教えてくれた。
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最後に
自分の話が少し長くなってしまった。
YOASOBIが好きで読んでくれた人がいたならば、退屈な話だったかもしれない。
YOASOBI初の有観客ライブとなる武道館での「NICE TO MEET YOU」は、今時点では未来だ。『三原色』との出会いへの恩返しができるとしたら、YOASOBIクルーの皆様がファンと「はじめまして」する記念日を、この先もつながれる、いつでも戻ってこられる“交点”として、残したい。それがレポーターに応募する理由だ。
度を越した回答かもしれないが、これが私のアンサーである。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
Mail: mekuruwagashiko@gmail.com
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