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本音で「もともと子どもはいらない」と思っていたんだけど

31歳、なんでこんなに考えることが多いのか。
高校生くらいで教えておいてくれよ!世の中!
前提、私は働くことが好きで、仮に子どもが生まれても働き続けたい人だ。

こどもは見ていれば可愛いし、嫌いとかではない。そして結論、私は妊活をしようと決めて、今まさに動き出している。

誰かを卑下したいわけでも、私が正しいとかでもなく、この結論に至るまでにただ感じていた、もともと子どもを迷っていた理由を残しておきたいと思う。

1. 純粋に子育てが大変そう・・・すぎる

インスタ、TikTok、Twitter、どれ見ててもワーママが大変すぎるのでは。

早朝から嵐のような準備と保育園送り迎え、子どもの熱で度重なる早退の気まずさ、眠れない日々、公共交通機関に乗るのだって神経を張り巡らせ、時短勤務といいながらこれまで以上に過酷な毎日・・・。

心に残っているのは
「母としては60点、社会人として70点。
一人の人としては合計130点で前よりもパワーアップしているはずなのに、社会からはマイナスの30点で評価されている気がする」

という、どなたかのツイート

やっぱりまだまだワーママの市民権って薄いよね、頭でわかっていても体験する人が少ない、自分事として真剣に考えて初めて重みを感じるんだよね。

2. キャリアがどうしても中断される

産休・育休によって、絶対に仕事の最前線から離れざるを得ない。
PC、社用スマホなど全て返却して、断絶される、約1年間。

それが大きいと感じる私の感覚は、少しおかしいのかな。

ちなみに、私の会社は営業ってそのまま母親として復職している方はこれまで一人もいない。キャリアチェンジを余儀なくされている。

オレは「仕事しかない人生だった」そんな風に思って死ぬのはごめんですね
―――それもある それも多分あって 確かにその通り
でも
あたしは仕事したなーって思って死にたい

https://natalie.mu/comic/pp/gohappymania/page/2
働きマン 1巻

私はこれなの!!!!!やっぱり、仕事したなーーーーーーーーって思いたいのよ。

3. 障害を持った子が生まれる可能性

誰も悪くない、どう努力してもあとは運次第。
以前以下のブログ読んで、戦慄した、世界を知った。

共働きならなんとか子育てしながらやっていけると思った。だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。

就活をけっこう頑張って入った会社だったんだよ。妊娠中、子育てに夢を描いて選んだ家だったんだよ。

そういうの全部なくして、残りの人生、親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。

子供が可愛くないわけじゃない。でも失ったものが大きすぎる。

障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい

上で書いたような「大変な毎日」は障害を持った子が生まれた時には微々たるものなんだろうね。

中学生の頃、「光とともに・・・」という自閉症児の漫画を読んだこともあった。

出生前診断ではわからないこれらの病の可能性を考えてしまう。皆はすごい覚悟をもって出産に臨んだんだなと。すごすぎる。

旦那さんと二人でも、一人でも

一方で、子どもがいない人生のことも悲観してはいなかった。この世にはもう数えきれない幸せの形があるし、月日が経つほどその選択肢は増えていくと確信している

旦那さんといるのも楽しいし、一人で例えばこうやってnoteを書いている時間も好き。そんな中、幸せの90点は続いてくのだと思っていた。

これが、今まで考えていたこと。
つづく。

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