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ウィルヘルム山登頂記

山登りというものに興味なんて全くなかった。

山自体は遠くから眺めたり、スノボで滑ったりすることに関しては好きであったけど、自分の足でわざわざ登るという行為を考えるだけでめまいがするし、第一、何時間も登り続けるなんてなんてつまらないのだろうと思っていた。

でも私は、つい最近オセアニアで一番高い山に登った。正直自分でも驚いてるけれど、導かれるように連れてこられた感がかなりある。

きっかけはパンデミックでパプアニューギニアで缶詰になったこと。海外に行けないなら国内旅行をしよう、といろんなところへ行ったけれど、日本より国土が少し大きいとはいえ、まだまだ発展途上のパプアでは行けるところが限られている。有名どころではココダトレールがあるけれど、私は暑さに弱い。しかも、蒸し暑くて虫やヒルやヘビがわんさかいるジャングルを何日も歩き続けるなんて気が狂っているとしか思えなかった。それでもとりあえずは挑戦してみようと思い、日帰りでできる短いコースをやってみたけど、歩いた後は予想通り廃人になり、2度とやりたくないと心から思った。

ココダトレール

でも寒いところは好き。パプアニューギニアのいいところは、海と山、両方堪能できるところだと思う。山岳地方は涼しくて過ごしやすいし、たくさんの新鮮な野菜が豊かな土壌でたくさん育つし、きれいな花が雑草のようにいたるところに生えている。去年、子供たちを連れて山岳地方をドライブしたのは家族のお気に入りの思い出旅行になった。


ただ、鎖国状態は予想以上に長引いて、やりたいことがなくなってきてしまった。沢山の綺麗な海を見たし、国内のリゾート地もほとんど行った。あとは何が残されているだろうと考えてみたら

ウィルヘルム山

という選択肢が浮き上がってきた。


ベースキャンプから見たウィルヘルム山


ウィルヘルム山は標高4,507mもあるオセアニアで一番高い山。ちなみに富士山は標高3,776mで、私は登ったことがない。記憶に残っている登山といえば、子供の頃行った御嶽山(3,067m)くらいで、登頂したのかも覚えがない。
前述した通り、山登りには興味はないけれど、なぜかウィルヘルム山に登ってみたくなった。赤道に近い南国の一番高い山では、なんと氷点下になることもよくあるらしい。そんな山を登ったら、どんな気分になるのだろう、と興味があった。

そんなことを何気なく友達に話したら、一緒に登りたいと名乗り出た人があっという間に4人も集まってしまった。もう後には引けなくなり、これはやるしかないな、と腹を括った。
話がとんとん拍子に進んだので、これは行くべきして導かれているような気もしていた。

6ヶ月の準備期間を経てその日は来た。
まずはポートモレスビーからマウントハーゲンへ飛び、そこからランドクルーザーで4時間ほどかけてケグルスグル村にあるロッジへ。オーナーのベティはちょっとした有名女主人で、日本の登山家もたくさんこのロッジを訪れるらしい。

1日目は標高慣れするためにベースキャンプへ日帰りハイキング。ベースキャンプの標高は3,500mもあるので息も切れやすい。
それでも女子5人組はおしゃべりを楽しみながらハイキングを終え、いよいよウィルヘルム山登頂のために荷造りをし、翌日再びベースキャンプへ出発。ここで仮眠をとり、夜中の一時から山頂を目指す。

ポーター、ガイドたちとベティ


ベースキャンプ。っていうか、掘立て小屋。笑
右の寝袋は私ので、現地について夏仕様ということに気づいた(ド未経験者)


私は歩き始めてからすぐに異変に気づいた。息がすぐ切れる。ちょっとした段差を上がっただけでも苦しくなり止まって深呼吸しなくてはならなかった。事前に高山病対策の薬は飲んでいたけれど、私は息切れや動悸、立ちくらみ、めまい、足元がふらふらするなどの症状が顕著に出ていた。
そんな中、仲間たちはどんどん前へ進んでいき、歩き始めてから30分も経たないうちに私はガイドのグレッグと二人っきりになった。シャイなグレッグは無口で、励ましの言葉や気遣いの言葉など一切なかった。一人っきりではないけれど、ひどい孤独感に襲われて、登山開始早々もう諦めてしまおうと思い、涙が出てきた。

20歩ほど歩いては息が切れるので、止まって深呼吸する。呼吸を整えて再び歩き出しても、すぐに息が切れる。なかなか前に進まないことに苛立ちを感じ、丁度新月の日と重なりあたりは暗闇。そんな中をヘッドライトだけを頼りに急斜面を歩き続けるのは恐怖でしかなかった。

1時間ほど経って、私は座り込んでしまった。いろんな思いが頭を駆け巡った。ここで諦めたら一生後悔する。でも辛すぎる。なぜ私だけ高山病になったんだろう。運が悪すぎる。楽しい登山の思い出になるはずだったのに。

私はこんなところで何やってるんだろう。

涙が止まらなくて、目を閉じて途方に暮れた。
横にいるグレッグは相変わらず何も言わない。23才のシャイボーイだし、ガイド経験も浅いので仕方がない。彼に非は全くないのに、貧乏くじを引いてしまった気分になった。
私が座り込んで動く気配がないのを察したグレッグは電池節約のためにヘッドライトをカチッと消した。その音で我に戻った私は目を開けた。目の前には無数の星がキラキラと光り輝き、真っ暗な空に光り輝く宝石が隙間なく散りばめられていた。新月だから流れ星や衛星、銀河がハッキリと見える。

iPhoneで撮影した空。本当はもっともっと綺麗だった。

今まではヘッドライトの限られた光で足元しか見てなかったから、空の美しさにやっと気がついた。静寂の中で見上げた空は、宇宙の中にいるような感覚だった。

再び目を閉じて、心の声に耳を傾けると、子供たちの声が聞こえる。

お母さん、頑張って!
頂上まで行けるよ!

涙がジワッと噴き出してきて、再び気合を入れる。
目を開けて、一歩一歩進むも、20歩目で息が切れて足取りが止まる。これを何時間続けただろうか。

山頂がまだ見えないのに日が登り始めた。
先の見えない登山に心が折れかけていた。
ふとスマホを見ると、今まで圏外だったのに電波が届いているのに気づき、早朝の6時だったけれど夫に電話した。

辛いよ。息ができない。頂上も見えないし、一人ぼっち(無口なグレッグは横にいるけど。)

愚痴をこぼす自分は嫌だ。でも本当に限界だった。息ができないことがここまで苦しいことなんて考えたこともなかった。

夫は静かに、「これはレースじゃないから、時間をかけてゆっくり歩いていいんだよ」と言ってくれた。その横で、7才の娘が「お母さん、頑張って」と寝起きの声で言っているのが聞こえて涙腺が崩壊した。
子供たちに会いたい。抱きしめたいけど私は遠く離れた山上にいる・・・いろんな思いが溢れて胸がいっぱいになった。

朝日が差し込んできたのを見て、私は自然に手を合わせて目をつむり、お父さん、お母さん、私を産んでくれてありがとう、と真っ先に頭のなかでつぶやいた。そして、大事な家族への感謝の気持ちと今生きていることを実感して、私は山を登り切るのだ、と再び決意をして目を開けた。

グレッグは依然として無口だ。

シャイボーイのグレッグ

後もう少しというところで下山してきた友達に遭遇した。顔を見た瞬間、また涙が出た。

頂上はもうすぐよ!ここまでよく頑張ったわね!
あと少しよ!!

と、とても励ましてくれた。この時点でゆうに六時間は過ぎており、彼女たちのテンションに押されて私も足早に頂上を目指すも、すぐに息が切れる。それを見かねた友人らが、一緒に頂上を目指してくれると申し出てくれた。
とても申し訳ない気持ちになったけれど、心から嬉しかった。一歩一歩進むたびに励ましてくれる二人。本当は登山中、ずっとこうして誰かと励まし合いながら登りたかったんだけど。笑
でも明らかに彼女たちは私と違って高山病には罹ってないようだった。

頂上からの景色
2度目の登頂を一緒にしてくれた友達に感謝。

最後に大きな岩の下に潜ったり急勾配な道を登るように進んでやっと頂上に着いた。
友達らがキャーキャー叫んで私の登頂をお祝いしてくれている傍ら、泣き続ける私。笑
苦労の末のこの達成感は、出産した時と似たような感覚があった。この時点で午前8時近くになっていたので、気温も上がってきてそこまで寒くはなかったけれど、風も強くて岩場も危ないので15分ほどして下山開始。
この登ってきた道のりを下るのか、、、と肩がガックリと落ちる。ヘリコプターでお迎え来ないかなーとか、パラグライダーで飛べたら楽しそうだな、とか考えながら歩き続けた。

険しすぎる道のり。
パプアの大自然に癒される。

でも、どちらかといえば私は登山よりも下山の方が格段に好きだ。登山中は景色が背中側にあるので楽しめないけど、下山中は登頂した達成感の余韻に浸りながら景色も楽しむことができる。登ってる時は真っ暗で、楽しむ余裕なんてなかった。
下山している時に湖が2つあることに気づいた。

ただ、標高が高いから日差しが半端なく強く、紫外線が服を通して肌を焼き付けていた。私はめっぽう暑さ・熱さに弱い。呼吸はマシにはなってきたけれど、歩き始めてかれこれ9時間は経っているので疲労も感じ始めていた。高山病の影響かお腹は空いていなかったが、登山経験豊富な友達には、少なくてもいいから無理してでも何か食べるようにと言われていたので1時間おきに無理やり何かを口にする。厚着していた服も歩き進めながらどんどん脱いでいく。高山病の治癒は下山しかないと聞いていたのに、なかなか気分がすぐれなかった。グレッグは少しずつ話すようにはなっていたけど、それでも黙っている時間が長かったので、私の高山病について考察してみることにした。

今回女子5人全員が、同じ時間に同じ高山病予防の薬を飲んでいたけど、私だけが影響を受けていた。その1番の要因は多分生理2日目だったことだと思う。ていうか、普段生理2日目なんて家からほぼ出ないのに、登山なんて無茶苦茶でしょ!と私の頭の声は叫んでいた。笑
出血により血中酸素が多分低くなったんだろうなぁ。息切れは本当にひどかった。
他の症状は、頭痛、めまい、足元がふらふらする、など。吐き気などはなかったが、食欲もなかった。メンタルではどうしようもない不安に襲われ、感情的になりやすく、ここから落ちたらどうなるかな、、、などといけないことを登山中に考えるようになっていた。これには事前に準備していたホメオパシーのレメディ、コカを何度か摂ったことによってかなり緩和された。もともと敏感体質だし、標高に影響されやすい体質だったんだろうな。
友達ほぼ全員に共通していたのは、お腹の調子が悪くなったこと。私もこれはかなり悩まされた。お腹のガスが溜まって痛くなるほどで、便秘にもなった。もしかしたら高山病の薬の副作用かもしれない。中年女子の集まりとはいえ、お互いの前で気持ちよくガスを放出する勇気はなかった笑

そんなこんなで、開始から11時間30分後にベースキャンプに戻ってきた。他の4人はもう1時間以上前に到着していたので楽しそうにランチを食べている。私は寝袋のうえにバタっと倒れた。疲れてはいるけど、足が痛いとか、筋肉痛とかそういう感覚は不思議となかった。というか、まだこっからロッジまで戻るんか、、、寝たいな。笑
と正直思っていたけど早く帰ってシャワーを浴びて一杯やりたい気持ちが強かったので、軽く食事をとり、荷物をまとめてまた出発。2時間かけてロッジへ到着した時は午後5時近くなってた。(注・登山開始したのは午前1時)

もう嬉しいのと眠たいのとで変にハイになっていたけど、友達とウィスキーを飲んで8時には全員就寝。寝つきの悪い私も目を閉じた瞬間に深い眠りについた。

翌朝早く起きて荷物をまとめてロッジを出発。途中野菜を買ったりして5時間かけてハーゲンまで戻り、飛行機に乗ってポートモレスビーまで帰ってきた。

道路状況がよくないので狭いランクルの後ろで揺れに揺れまくる。


高山病で苦戦したものの、とてもいい仲間と楽しく励まし合いながら山を登ったのはすごくいい思い出になった。彼女たちはカンガルーのように足軽だったので一人で登るのはかなり寂しかったけれど、いろんなことを考えて、いろんなことを感じて、自分の心の声を聞いて感謝の気持ちを思い出し、修行のような登山が今の私に必要だったのだと後になって気づいた。人間は辛い経験をすると忍耐の伸びしろが増える、と言った姉の言葉は本当で、ちょっぴりレベルアップした気持ちになった。

女子登山旅行もなかなか楽しい。

正直、登頂できてよかったとほっとしている。
だって、もう一度登る気は全くないから。笑

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