みるるんさん指定映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を見ての3000字感想分
見ました。僕はジョジョはふわっと読んでいて岸辺露伴というキャラクターについてはあんまり記憶がありませんでしたが事前知識なしでも大丈夫ということだったので特に予習もなしで鑑賞しましたが十分楽しめました。
視聴前の段階では岸辺露伴というキャラクターは「自分の信念を曲げない漫画家でスタンド『ヘヴンズドア』の能力で人の記憶を見たり書き換えることが出来る」というくらいの知識でした。
スピンオフ系の作品は原作を読んでいないと面白くないものと原作を読んでなくても大丈夫なものがあって前者は知ってる人は120%楽しめる代わりに新規を置いていきがちの印象があります。ルーヴルへ行くは新規もついてこれる代わりにジョジョ要素を強く出さないようにしていた印象があります。ただ僕が気付かなかっただけで詳しい人はニヤリとする演出がちりばめられていたのかもしれません。偏見ですけどジョジョってそういうのやってきそうですよねw
内容としては岸辺露伴という漫画家がとある絵画を追ってルーヴルに行くというものです。
映画開始直後に露伴は骨董品のお店で店主ともめます。
このシーンは岸辺露伴がいわゆる正義側の人間ではないと印象付けるものだったのかなと思いました。
自身の信念をしっかり持っておりそれを理解しない相手には容赦のない態度をとる。ただこの信念と言うのは社会通念的なものに沿った信念ではなくてあくまで岸辺露伴個人の信念であり社会的な善だったり周囲からの評価を得るための信念ではない。
「ダーク・ヒーロー」と言われるものですね。
こういうキャラクターが好かれるのは時代も関係ありそうだなと思いました。
今の時代は自分の考えや価値観を大事にしたいというか尊重されたいという思いが皆の中にあるように思います。全体との調和ももちろん大事ですがそれよりも個のあり方を大事にする時代。
それでも集団で生きていくには自分の価値観を少し曲げてでも協調性を出していかねばなりません。そういった相反する思いを皆が持っている現代だからこそ中で自らの価値観を最優先にして生きていくキャラクターが魅力的に映るのかなと思います。
露伴も彼自身の価値観や考え方がカッコいいというよりは信念を持って漫画を描いていたり人に屈しないところが魅力的なんですよね。
さて、そんな露伴ですが漫画家として素晴らしい作品を作り上げる能力を持っていますがそこに付随しているあまりに強い個性は他者を遠ざけてしまいかねないものです。
その個性で無限に突き進むことで問題が解決していくのはあまりにファンタジーがすぎます。そういった展開が悪いわけではないですがそういった展開の作品はあくまでファンタジーなんだなという印象が強くなってしまいます。
そこを現実に押しとどめるのが担当編集者の泉京香です。
露伴とともに行動し持ち前の好奇心でいろんな人に絡んだり露伴を諭したりする。
他の人間とのクッション役になる泉ですが僕は本当はこういうワーキャー騒ぐキャラってあんまり好きじゃないんですよ。
でも実際強烈な個性と強い信念を持つ人間が一人いるだけでは物事ってうまく回らないですよね。そこを社会とつなぐためには何かが必要です。この作品ではそれが編集者の泉ということになります。
泉に関しても個人的にはワーキャー騒いでほしくはないのですが騒がずに露伴にだけ物おじしないというのもありえないですよね。それだと泉の編集者としてのバックボーンや露伴に対しての特別な感情や関係性を描く必要がある。それを省くのであればやはり何に対しても好奇心旺盛で物おじしない。よって露伴にも物おじしない。あの露伴にそういう態度をとれてしまうんだからこのキャラクターなら普段からこのくらい楽しそうに物事にふれていくよね、というのが確かに整合性のとれたキャラクターだなと思います。
この泉が露伴のそばにいることでこの作品がファンタジーに寄りすぎず現実に近づいている節があるのかなと思いました。
『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』はそんな岸辺露伴と泉京香がルーヴルへ「最も黒く、邪悪な絵」を探しにいくストーリーとなっています。
露伴がこの邪悪な絵を求めるに至る理由も整合性が取れているなと感じました。なぜ露伴はここまでこの絵を求めるのか。最初は漫画のクオリティアップのためのような雰囲気なのですがストーリーが進んでいくと露伴の過去に大きく影響していることが判明していきます。
個人的には露伴の過去の回想とそれを踏まえてのストーリー展開に矛盾があるというかこれがこうなってる理屈が飛ばされてる?と思う点もありましたがその辺は原作で詳しく書かれているのかもしれませんね。あるいはもう一回見ると伏線があったり納得できるのかも。ジャンルがミステリーとなっていますし2回見ると分かるのかもしれません。
終盤は「最も黒く、邪悪な絵」に関する秘密が明らかになります。
こういう表現ってちょっと心惹かれるものがありますよねw
「最も美しく高貴な絵」
と言われるより
「最も黒く、邪悪な絵」
の方が惹かれてしまう。
そもそも下の表現に惹かれる人間だからこそ露伴のダークヒーロー的な側面に魅力を感じられたのだとも思います。
この絵はすべての光を吸収してしまうほどの黒で塗りつぶされた絵画であることから作中でこのような表現をされています。しかし意地悪な言い方をすると 『塗っただけ』ではあります。
でも僕は
「いやいやw塗ってるだけじゃんw」
とはならなかったんですよね。物事って本質的な部分はとてもシンプルなのだと思います。シンプルな方が解釈が入りにくい分『最も』という形容詞が付くことを受け入れられる。複雑になればなるほど解釈の幅が増えてしまうことで『最も』という形容詞から離れて行ってしまいます。
このあたりの表現は秀逸だなと思いました。邪悪と言うものをシンプルに表すことで表現もシンプルにできる。そしてそのシンプルさにより表現される力強さ。
そしてルーヴルでの物語が終わり最後に露伴が発する一言
「人間の手に負える美術館じゃない。そんな気がするね」
というセリフ。
強固な価値観とそれを貫きづつける露伴が言うからこそ重みが増すというセリフですね。
この絵画を巡っての一連の出来事はあくまで『一つの絵画』から生まれた事件であり美術館自体は関係ありません。それでもタイトルが「ルーヴルに行く」となっていることや最後に露伴が絵画ではなく明らかに場所にフォーカスしたセリフを発したことから僕が感じたことは作品と言うのはどれだけ素晴らしいものであっても、作者の思いがこもっていたとしてもそれを受けいれる場所や人があってことだということです。
作中でこの邪悪な絵というのは知られざる作品でした。映画の中でこの絵画の作者とされる仁左衛門の名前が出てきたときに美術商たちはあまり聞き覚えがないようであくまで無名(それに近い)の画家とされていました。
しかしその無名の画家の作品にさえとんでもない情念がこもっていると考えると多くの人の前に晒され時代に翻弄されたであろう名画たちの中にもすまさじい情念がこもっていると考えられます。そのような作品を無数に抱えつづけるルーヴル美術館。露伴はその多くの情念すらも飲み込んでしまうルーヴル美術館に畏怖したのかなと解釈しました。
露伴と言う個性、そしてそれをリアリティの世界にキープする泉、シンプルな表現で表される邪悪。、そしてすべてを飲み込むルーヴルと言う場所。
これらが噛み合ってとても楽しめた作品でした。
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