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彦助堤

7月に入った最初の日曜日。明善さんマップに入れる「彦助堤」の写真をまだ撮っていないことに気がつき、急いで浜北に向かいました。

「彦助堤って何だろう?」

そうそう、まず彦助堤の説明をしないといけませんね。
江戸時代の初期、当時の天竜川は大天竜と小天竜の2つに分かれ、しばしば氾濫して人々を苦しめていました。

そこで新原村の庄屋松野彦助という人が、工事に挑んだのですが、うまくいきません。そこで彼は、人々を励ますため、自ら人柱となり川底に…。その熱意に打たれた農民によって、延宝3年(1675)に堤防が完成し、これを彦助堤と名付けたということです。

「金原明善さんと今を生きるわたしたち」44ページ下
左が江戸時代の川の様子。こんな風にぐねぐねしていて、よく川が氾濫したんだ。

当初、明善さんマップに彦助堤を入れるかどうかも迷いましたが、治水の視点からも、欠かせない人物だと考え掲載しました。

さて、天竜川ほとりの自宅から車を走らせること約20分。彦助橋という看板が目に入り、このあたりであることを確信しながらも、肝心の彦助堤の石碑はわかりませんでした。こうなったら誰かに聞くよりほかはないと思い、庭に出ていて家に入っていった年配の男性を見つけ、声を掛けました。男性は再び外に出てくれて、裏庭に案内され、「ここも堤のあとだよ」「そこのゴルフ場に隣接する道をまっすぐ進めば碑があるよ」と、大変丁寧に説明してくれました。お礼を言ったのち、言われた道を歩いて彦助堤の碑の前へ。

人柱となった彦助さんをおもいつつ、写真を何枚か撮りました。これでマップに乗せる写真は全部撮ったという達成感と、地元の人が郷土を大切にしている一端を見ることができ、和やかな気持ちになりました。
(まなび編担当 大場)



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