タカマツ メイ

ぼんやり感じたこととかすこしずつ、書き留めておくことにします 愛猫の名前はぬいさん

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最近の記事

観劇 ねじまき鳥クロニクル わたしのプロローグ

先日東京芸術劇場にて ねじまき鳥クロニクルを観劇。コロナ以降舞台は見ていないはず、その前の一年間東京を離れて広島に住んでいた時もみていないはずなので観劇は4-5年ぶりくらいになる。 演劇には疎くてたまにミーハーに見に行く程度だけど 少しお洒落をして背筋を伸ばして劇場に向かう、幕間にロビーで珈琲を飲んだりする、現実との堺が曖昧なまま余韻に浸りながら帰路に着く、そんな一連の観劇体験が好きだ。 ねじまき鳥クロニクルは見たいなと思っていた舞台だったものの、まだ生まれてまもない赤子が

    • 劇場をみた

      プライムで配信されている劇場をみた。 小説が原作の、恋愛映画。ダメな人間がでてくる系。これは、眠くなるタイプの映画だろうから、映画館ではなく家で見るのはちょっとなぁと思いつつ、暇つぶしに見てしまった。 そしたら、想像以上に面白くて、言葉をいくつか残しておきたいと思ったくらいに心が動かされている。 主人公の語りでストーリーが展開されていくのだけど、それが淡々と、覇気もなく、ややゆっくりなスピードなので下手すると眠くなる。やっぱり眠くなる系のやつだわ、そう思った。(私は人より

      • もしも猫が死なない生き物だったら

        とある小説で猫に寿命があるのがおかしいって書いてあった。 猫ほどに優雅で優しく気ままで美しい生き物に老化や寿命があるんだから神なんていないんだ、要約するとそんなことが書いてあるお話だった。 たしかに猫好きの人からしたらそうかもしれない。人間にはさまざまな卑しい感情や邪悪さがあるけど、我々から見ればけなげで屈託なくかわいらしい生き物に対しても死を与えるだなんて神様は至極残酷じゃぁないか。そんな考えには共感できる。犬好きの人にとってそれは犬かもしれない。 ならもし、死なない猫

        • 世界の法則と山に登る理由

          世界は秩序だった法則正しい法則によってうごいてる。 成功も失敗もその法則に従って生まれている。 だからその法則に合わせて自分を変えて行かなきゃいけない。 全ての責任は自分にある。 上記は夢を叶えるゾウからの引用。 わたしの趣味は社会人になってからもっぱら登山だ。 山にいるときは、その壮大な自然を前に自分はちっぽけでなす術もなく 人間はみな平等に無力で だからこそわたしは山が好きなんだ。 それは自然の法則というどうしようもない秩序にあきらめて自分を順応させているから、ある

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          山が好きな理由

          私は山や森が好きだ。 景色に見ていると心がぎゅってする。 愛おしいと思う。どうしようもなく切ない気持ちになったりもする。 それらの中にいるときも、尊い気持ちになるし明るく楽しい気持ちにもなる。街にいる時より数倍明るい性格の人間に変われたりもする。 それはなんでだろう。単純に空気が良くて気持ちがいいから、あるいは、都会の喧騒に疲れ切っていたりするから、とかもある。 1つとしてあるのは、そこにある様々な命のありさまや背景に心が刺激されるからだとも思う。自然の命は単純に美

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          無職は公園にいる

          今は毎日転職活動という名の暇な日々を送っている。 毎日時間はたっぷりある。驚くほどにあっさりと毎日はすぎていくけれど。 わたしが止まっている間も、地球はちゃんと回ってる。朝が来て、夜が来て、明日になる。わたしを置いてきぼりにしてってくれればいいのに。何もしてないのに細胞の老化だけ進むっていうのはなんて恐ろしいことだ。 何もしていなければわたしの社会的価値は一切あがらず、あるいは忘却によって仕事力は落ち、反対に若さという武器はどんどんなくなっていくのだからこのままではわたしの

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