これまでの事と、これから

そうだ、note書こう。
さっきなんとなくそう思ったので久しぶりにTwitterのような文字数の制限なく、自分語りをしてみることにした。正直9割ただの思いつきではあるのだが、敢えて無理やり理由をつけるとするなら自分がTwitterで23卒泥啜り界隈とかいう魔境に漂流してから約10日が経ったこと、あともうすぐで5月なんで自戒の意味を込めて書いているのもあるかもしれない。

一昨日、私はかなりのショックを受けていた。自分という人間の交友関係の浅さに、大学4年間で成し遂げたことのペラさに!就活支援センターの職員に進められるまま、何となく自身の学生時代のことを纏めてみようと筆をとったが、思い付いたものを言語化して箇条書きにしていく、この作業は自分にとってそれは苦痛で仕方がなかった。そもそも自己分析とは経験や思考を整理する事で自身の能力や性質、就活の指針を理解していく作業だったが、自分を知る事は自身の弱さと向き合う事でもあり、弱さと向き合う事はこれまで幾度となく嫌な事からの回避を試みてきた、見たくない自分をぼやかしてきた自分には大変な苦行だった。

就活解禁直後の3月初め、その頃自分は世間一般の大学生と同程度…とはいかずともそれなりに就活にやる気を出していたように思う。多くの説明会に参加して、質問を用意し、そこそこ頑張っていた。
でもそれが出来たのは3月の半ばほどまでで、後半はマイナビなどの就活サイトを開かず、ゲームに明け暮れるばかりか一日中布団にこもり将来を悲観する「ああなってはいけませんよ」と評されるなら正しくそのものであるような底辺就活生に落ちぶれていた。何故そんなことになったのかについては複合的な要因があると思うが、やはり働く事が現実味を帯びてくるにつれ、怖い、辛い、自分にはダメなんじゃないか、そんな思考が頭を埋め尽くして、それらの恐怖から逃げる為に必死にゲームの世界に没頭していたのだと思う。

“もうどこにも行けないし何も出来ないし、布団の中にいて2日終わった、3月が終わった、きっと夏も終わるし気づいたらもう桜枯れてる”

これは4月の初め、数少ない信頼のおける友人に送ったチャットである。今見返してみたら、こんなお気持ちポエムをよく人に送り付けようなどと思ったな?!と恥ずかしくて堪らなくなるのだが、逆に言うとそれ程までに追い詰められていた気もする。その時悲壮感溢れるチャットに文句も言わず、一緒に今後について話し合ってくれた友人には感謝しかない。
1人でいるよりずっといいよ、そんな友人からのアドバイスを受け、大学1年生以来ついぞ訪れる事の無かったカウンセリングを受け始め、今まで見る専でしか持っていなかったアカウントを作成し、同じ様な境遇の人と繋がる事をはじめ今に至る。

正直、未だにESはほぼ出せないし、面接は怖くて仕方ないし、働きたくない気持ちが大きい。でもNPCと対峙していた時間が生身の思考に触れている時間にすげ替わった事で、自身の精神状態は現在、それ以前よりも安定しているように感じられる。

皆、弱音を吐きながらそれぞれの段階で就活と向き合っている。たひぎは遅ればせながら、今まで逃げてきたものと向き合っている。自分と向き合い続けることはとてもつらく、加えて面接やESでも少数の社会から否定されるので、頑張ろうと決意しては挫折することを繰り返している。それでも頑張ろうとするのは、自分を諦めないでいようと思う心が僅かにでも残っているからだと思うし、内定は人生のゴールではないにせよ、ひとまずそこまでは自分のペースで立ち上がり続けようと思う。


「で、結局今日はES何枚出したんですか❓」

おしまい。


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