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中国4000年以上前の自然哲学陰陽思想。日本に来たのはいつ?

陰陽思想についてはこちら。

五行思想についてはこちら。

私がメンタルケアとして一番重きを置いて使っているのは、望診といって中国の自然哲学が元になった東洋医学です。

中国で生まれたこれらの哲学は、一体いつ日本にやってきたのか?
陰陽思想が中国で生まれたのは4000年とか5000年とか昔。神話の時代です。
そして五行思想は春秋戦国時代なので紀元前770〜紀元前221年の間です。(より詳しく表されるようになったのは前漢&後漢時代)

日本にやってきたのは、「遣隋使」の時代です。
日本への仏教伝来と同じ時期。諸説ありますが538年くらい。

渡来人は弥生時代(紀元前9世紀くらい〜紀元後3世紀くらいまでの約1000年ほど)にはすでにいたので、人々が無意識的に伝えていたと言うことはあると思います。

中国では、陰陽思想が出来上がってから、だいぶ後に五行思想が出来上がり、この2つがくっつきましたが、日本にやってくる時には、すでにこの2つの思想はくっついていたため、「陰陽五行思想」として伝わってきました。

聖徳太子(574年〜622年)はこの陰陽五行思想に基づいて、政治をおこなっています。これが冠位十二階。
冠位十二階についての詳しい説明はここではしません。調べてね^^
この冠位十二階には603年に制定された、朝廷に仕える臣下を12の等級に分けて、地位を色別に分けたものです。
この色別が、五行思想の色。

一番上に紫。これは特別な色。日本では紫は高貴な色として君臨していました。
位の高い僧侶の袈裟の色は紫です。
その下に、青、赤、黄、白、黒と5色の色を振り分け、それぞれにさらに大小の位があります。

頂点を1つ決め、5つの役職が支える。
この形が一番バランスが取れてうまくいく、と聖徳太子は考えて、政治にもちいたのです。


奇数はバランスが取れやすいです。
カメラの三脚は、3です。これが4つだと、バランスが取りにくい。

また戦隊モノの主人公たちもなぜか5人。

役員なども班長、副班長、書紀、と3人いますね。


なぜかバランスが取れやすい、これが自然の摂理であり、自然哲学として書物にも記されるようになったのが、陰陽五行思想です。

なんで落ち着くの?
と聞かれても、なぜか、なので人類の細胞レベルから、自然界の分子レベルから落ち着いているので、統計的な答えしかないんですよね。

陰陽五行思想は、「統計学」でもあります。

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