見出し画像

ピースのソファーに座り、ピンポンズさんのライブと、とりとめのないことを考えた日

幼少期、別の町内に住むいとこの家に夏休みによく泊りに行っていた。その家でいとこの女の子と一緒にイトトンボを大量に捕まえてきては、カーテンにイトトンボを等間隔につけて遊んだり、叔母さんにプールに連れて行ってもらった帰りにレンタルビデオ屋に寄り、「好きなもの借りておいで」と言われ、選んだ楳図かずおのビデオをタオルケットに包まって見たりした。

そのビデオで楳図かずおが「身に覚えのないあざがあなたのからだにあったら、それは××××××××××××かもしれません」と言っていた。××××××××××××の部分がなんだったか思い出せないし、なんの映像だったのかもいまだに解明できていないけど、いまでも身に覚えのないあざをみるとその言葉を思い出したりしている。

その家の本棚に雑に置いてあった漫画がわたしの基盤をつくった。

楳図かずお「偶然を呼ぶ手紙」「映像(かげ)」「蝶の墓」「おろち」

日野日出志「地獄変」

つのだじろう「恐怖新聞」「学園七不思議」

それらの漫画を幼いころに読んだ日から、こういうのが好きな自分はまともな感覚で大人になることはできないのかもしれないとどこかで感じていた気がする。泊りに来るたびに漫画を取り出して読むわたしに横から「その漫画、気持ち悪い」と興味なさそうにいとこは言った。

おどろおどろしい物語に潜む悲哀や、ハイテンションな恐怖の最中にある滑稽さ、どうしようもない人間らしさ。そういったものにこそ、世界の真実がある気がしていたし、一括りに束ねては表せないいくつもの感情を複数同時に持つことこそ、本当の気持ちなのだと思った。

小学生の時、人生で初めて買ってもらったCDはたまの「さよなら人類」だった。たまを知った初めの頃は兄と二人で「さるー」と言ったり「着いたーー!」と言っては爆笑していた。次第にたまの作品の中にある純文学的で、哲学的な世界観に魅了され、そこからわたしは純文学が好きになったのだと思う。

楳図かずお、たま、いつも近所のお姉さんが読み終えたらくれたホラー雑誌サスペリア、たんけんぼくのまち、おーい!はに丸、かすみ草、ポプリ、星の砂、練り消し、ガチャガチャで取った「かみつきばあちゃん」、リカちゃん人形とリカちゃんハウス、メリーポピンズ、ちびまる子ちゃん、シニカルヒステリアワー、お父さんは心配性、さんまの名探偵、ポートピア連続殺人事件、ラビリンス(デヴィッド・ボウイが出ていたことを大人になって知る)

そうやって子供の頃は好きだと感じたものに対して隠さずに好きだと言えていた。十代から二十歳前くらいまでは、自分でも作品を作るようになり、自費出版で本を作ったりもした。だけど、自分の作品を付き合っていた人に見せるという行為はしなかった。

わたしのことを可愛がってくれていた人に、「そういうの作らないほうがかわいいよ」と言われたことがある。当時自分の本を本名で出してしまったこともあり、地元のコンビニで一緒に働いていた奴に、「詩を書くとか、ジブン、寒いわ」と言われたこともある。

そういう経験からか、次第に自分の内側にあるものを恥ずかしいもののように隠してしまう癖がついた。好きな人には特に知られたくなかった。
自分のアイデンティティであるかのように集めていた漫画も、恋人があまり本を読まない人だと隠したり売ったりして、それを好きな自分をなかったことにしていた。

恋人に、嫉妬やつまらないことでたくさん失望させてしまっていることには無頓着なくせに、自分の内面を素直に出すことは出来なかった。そうして当たり障りのない自分になって、得た言葉は

「悪くはないけど、なんかガツンとこない」

そういって振られたことが人生で過去二度ある。自分だってそんな自分の意見は二の次に、その人が言って欲しいであろう正解を取りに行くような上っ面だけの、薄っぺらい自分は嫌いだった。

この人にこの言葉を言ったら傷つくかもしれない。この人にわたしのこういう部分をみせたら引かれるかもしれない。わたしは本当はこう思うけど、この人はこういう考え方は嫌がるかもしれない。これはわたしはあんまり好きじゃないけど、この人が好きだというのだから良いものなのかもしれない。

そうやって飲み込んだ言葉もあれば、自分の中にはない言葉を口から出したりもした。そうしているうちに自分が本当はなにが好きで、なにに感動して、なにを感じているのかも分からなくなって、映画とかの感想もある程度レビューを見て、感覚としてそんなに間違っていないと確信してからしか伝えられなくなっていた。

服装も付き合う人によって雰囲気が変わるようなしょうもない人間だった。いちばん血迷っていた頃は、似合いもしないロカビリーの女の子みたいな服や、ボーリングシャツ、16ホールのマーチンにルイスレザーの革ジャンを着て、ベリーショートにしていたこともある。自分には一生縁がないと信じていたジャパレゲも聴いた。

恋人からしてみれば、隣にいてもいつも話に同調してくるだけで、ここぞと言う時にも自分の意見を言わず、特に趣味や一人で成し遂げたい夢もなさそうな空っぽの人間といても、つまらなかっただろう。心が離れて当然だ。世の中にはもっと可愛くて、夢があり、芯があり、尊敬できるようなかっこいい女性が数えきれないくらいいる。

わたしの心の扉をノックして恋人が入ってきたら、わたしはいつでも招きいれるし、その部屋の押し入れや引き出しはいつでも開けて見せるけれど、開けてもつまらないゴミみたいなものが出てきたり、どこかで目にしたようななにかがあるだけ。なんの世界も見えないわたしの部屋だから、そのうち開ける気も起こさなくなる。

本当に好きなものや本当の言葉、鉛のようにずっと抱えている自分の業のような重く苦しい現実のことを打ち明けてしまいたい気持ちは、隠した扉の向こうに置いてあって、その人は気づいてはいないし、気づかれることなどあってはならなかった。だって、可愛くないから。恋人には可愛いと思っていて欲しかった。嫌われたくなかった。さらけだした先の感情、好きなもの、わたしという人間を否定されて落ち込んだりもしたくなかった。

そこを見せられなかった恋人たちにはずいぶん空っぽの部屋に見えたことだろう。覗こうと思うことも、知りたいと思う気持ちもすぐに失せてしまうような。

私の好きになるアーティストの作品の中、エッセイの中に登場する彼らの恋人たちや忘れられない人たちの眩しさは、自分にはないものだと痛感させられる。きっと彼女たちは自分のことをちゃんと臆することなく表現したり、言葉にしたり、行動出来るかっこよさがあるのだろう。誰かに否定されたとしても、確固たる芯の強さがあるのだろう。恋人と対等な自分でいれるから、背中を押してあげられるのだろう。そうやって自分のことを愛せる分、周りにいる人のことも恋人のこともひとりの人間として向き合いながら、怖がらず深く愛せるのだろう。本当のところは分からないけれど。

又吉さんのエッセイで読んだ、かつての恋人との話を思い出す。

その人には日常的に本を読む習慣がなかったが、僕が大好きな作家の本だと説明し「杳子」を貸した。
「私は馬鹿だから何も解らないけど、あなたが、この本を好きなのは凄く解る」

わたしだったら、どうしただろう。きっと懸命に読み込んで、その時に感じたことを、その後にこそこそと読んだ考察サイトなんかと擦り合わせて、それらしく理解したふりをしたんじゃないだろうか。最悪だ。
わたしは、友人に対しては当たり前にできることが、恋人には何故かできない時がある。何故か、といいながらその正体は分かっている。その人に自分がどう映っているかしか考えていないからだ。そこにはその人の存在はないし、自分の存在もない。なんにもない。

いつまでもそんなふうにして、ぼんやりと年をとっていく自分が恐ろしかった。

人を好きになると、好きになってもらいたいという気持ちをうまく扱えず、本当につまらない人間になってしまう。いまはひとりでいる時間が日常になり、自分を取り戻した気でいる。そもそも、つまらない自分だって本当の自分なのだけど。

自分を取り戻しても、根本的にはあまり変わらなかった。

いちばん行きたい場所にいかず、近場で過ごす週末の繰り返し。
出かけたいけど、その場所に見合う自分じゃないことが億劫で、どこかに行きたいと思いながら部屋で過ごす。見たいと思っていた展覧会に期間中に行くこともせず、終わってから行けばよかったと思う。書きたいことを下書きにメモ程度に残しては未完成のまま放っていつまでも公開できないnote。

もういい加減そんな自分が嫌になったから、行きたいと思った場所に臆することなく(心の中は臆していても)向かうことにした。

水川かたまりさんが出ているコントを見に行った。

ドラえもんのどら焼きのモデルになったといわれる時屋のどら焼きを食べに行った。

本を作って、文学フリマに行った。

オーケンのエッセイを見てから、ずっと行ってみたいと思っていた渋谷のムルギーでカレーを食べた。

世田谷ピンポンズさんのライブを観に行った。

そして、新宿ピースでエビピラフを食べて、ブレンドコーヒーを飲んでいる。

わたしからすれば、それはもうはじめてのお使いレベルの大冒険だ。この時間があったから、色々なものを吸収して、いまこうして書いている。

自意識ばかりが膨れているわたしはもうやめて、喫茶店で書き物をするという、してみたかったことをする。そのデビューに相応しい場所としてピースを選んだ。まあ、やっぱり恥ずかしくてカバンからノートは取り出せなかった。そんなにいっぺんになにもかもはうまくやれない。

でも、自分のいつもの思考を変えてみて、行動が変わったからこそ、わたしは今日このお店に辿り着いている。新宿ピースでソファーに体を沈めてイヤホンから聴いたピンポンズさんの「ピース」は、本当に素晴らしかった。

音楽が流れている間、藤子・F・不二雄先生も、ピンポンズさんも確かにいた。そしてその場にいた窓際のご老人がすごく印象深かった。ひとり煙草を燻らせながら、外を眺めているその後ろ姿に物語を感じた。わたしはあんな風に自分の物語を背負えているだろうか。辛かったことは人一倍あったように思うけれど、その経験を糧に人生を積み重ねていけているのだろうか。

ここ最近で特にピンポンズさんに実際にお会いできたことが自分の中ではとても大きなことだった。


ライブ前日にDMでチケットの取り置きをお願いした際に「もし会場でお声かけ出来る機会があれば、ピンポンズさんの出した本「都会なんて夢ばかり」を持っていくのでサインをして頂けたら嬉しいです」とお伝えしていた。会場の大きさも、雰囲気もよく分からなかったし、自分の想像の範囲ではそんな機会はまずないだろうと思いながら、もし実現したらすごく嬉しいなと思っていた。

ライブは本当に素晴らしかった。狭い会場のいちばん前の席で見ることができた。もっともっと聴いていたかった。

終演後、お声かけさせてもらった。ピンポンズさんのほうからすぐにサインのことを言ってくれて、席に移動して本にサインを書いてくださった。十一月に開催された文学フリマに向けて知人数名で製作した合同誌も献本したい事をお伝えすると受け取ってくださった。(いつか自分の本を作って、またお渡し出来るよう頑張ろうと思った)そのまましばらく一緒に座ってお話しをしてくださり、なにか飲み物を注文しようと席を立ったタイミングで、席を離れてしまったのだけど、その後に「カウンターで話しているので、良かったらご一緒に」と言いに来てくださった。なんて良い人…。
久しぶりに共演されたというご友人との時間を邪魔をしては悪いと思い、結局その場から動けなかったが、そんな風に言ってくださる事にとてつもなく感動した。

その後、帰る前にカウンターに座るお二人にお声掛けしてから帰ろうと思い、ありがとうございましたと伝えると「なんのお構いもできませんで」と言ってくださった。いや、自分の想像を遥かに超えた次元でお話をして頂いたのに。本当に素敵な方だった。そしてそのままお二人と少しお話しさせてもらった。このお二人のライブが見れたというだけでも、もう最高の気分だった。

一気に夢が叶って、現実が夢を追い越した一日だった。もっと聞きたいことや、伝えたいこと、ピンポンズさんが返してくれた言葉に反応したかったことも、その日が終わった後から後から沢山思い浮かんできた。

あの一日の事をいまも考えている。

自分から見れば、はるか遠くの世界で、素晴らしい作品を世に出し、確固たるものを確立している才能のある人はどこからやってきて、どんな風に作品を生み出しているのかと思っていた。そしてあまりにも近い場所でライブを見て分かった。才能のある人もどこか違う世界からやってきているはずはなく、同じように地面の上に立っていて、生活や日常があって、その中でずっと歌い続け、作り続けているということに。これまでに費やしている時間はいったいどれくらいなのだろう。

ほとんどなにも持ち合わせていないわたしが、文章を書くのが好きだ好きだ、書こう書こうと言いながら、全然時間を費やしていない。自分を心底恥ずかしい存在だと思った。抜け出さなければと思った。「あるある早く言いたい」といい続けているRGのあのネタじゃねぇか、わたし。

書きたいものはあって、大事に書きたくて、でもそれを形にしてみて、もしそんなに思うような出来じゃなかったら、同じ題材ではたった一回しか作品に出来ないから、いまはまだ書けない。それが私の、言い訳だった。
知らんがなという感じだ。着手すらしていないのに、勝手に作りだしたルールだけは厳しくて、結果書けてないなら、何度でも同じ題材で書いていいから書けよ。

世に出なかった思いや言葉はいくつあるんだろう。言葉というのは、自分で掬いあげるしかなくて、その作業にどれだけ力を尽くすかも、尽くしたかも結局自己満足でしかない。だけどどこかの見知らぬ誰かだったはずの彼ら彼女らが、力を尽くして世に出してくれた多くの作品があったから、生きてこれた。

最近よく、中島らもの「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」というエッセイのことを思い出す。まだあまり考えたくはないけれど、わたしの永遠も半ばを過ぎてしまったと思うからだろうか。わたしの両親は六十代で亡くなってしまった。それを思うと、わたしが体のどこも痛くなく、行きたいところに行けて、見たいものが見れて、聴けて、会いたい人に会えて、言葉を交わせるのは、あとどれくらいなんだろう。

さようならが言える別れなんて少ない。じゃあまたねと言ったきり会えないことのほうが多い。

闘病で長くないと分かっていた父と母、ほぼ毎日のように病院へ会いに行ったり、自宅へ連れて帰ったりしていたけれど、本当の最期、わたしは仕事をしていて、母の時も、父の時も間に合わず、傍に居てあげることが出来なかった。

そして、母とはその二日前くらいにちょっと喧嘩をしたというか、わたしが母を𠮟りつけてしまった。「お父さんが亡くなったら、銀行に預けているお金が引き出せなくなるから、引き出してきてほしい」と言われた。

もうそんなに父が長くないことを見越したうえでのやりとりが苦しかったし、嫌だと思っていた。あんなに仲がよかったのに淡々と話す母が自分の知らない人のようでショックを受けてもいた。亡くなる少し前の母は、底抜けに明るく愉快だった今までとまるで人格が変わってしまったと思うくらい、自分本位でわがままになっていた。そして母は、何度聞いても暗証番号が思い出せず、でもどうしても今日中に終わらせてしまいたいらしく、銀行と病院を何度も何度も往復させられた。暗証番号が思い出せなかったのは、今思えば、モルヒネで意識が朦朧としていたのだと分かる。

「全然痛くないわ」といつも言っていたから、痛みに耐えられず母が人知れずモルヒネを打つように頼んでいたことも亡くなった後に知ってしまった。

なにも家族に知らせてくれなかった病院を恨んだりもした。でも、あのときに疲れと甘えが出てしまって、また会えると思ってしまって、本当にもうすぐ父も母も亡くなるだなんて認めたくなくて、「もう今日は帰るわ」と言って帰ってしまった自分がいちばん許せない。いつも帰り際に握手していたのに、その日はせずに帰った。ちょうど入れ違いに近所の人が見舞いに来たのでそそくさと帰ってしまった。

あの時の「え、もう帰るん?」と言った母の顔が忘れられない。

その日のうちに電話で謝ったような気もするし、それは夢で見たほうだったかもしれないとも思う。謝れていたらいいのだけど。あの頃のことはまだあんまり記憶がないこともあるし、後悔して何度も夢で見てきたから本当が曖昧。

あの頃のわたしは、とめどなく巡る思考を停止することでしか父と母の前で気丈に振舞えなかったし、感情を殺すことでしか「治るよ」と嘘をつき続けられなかった。当時、自分のことなんか、なにもかまう余裕はなくて、全然好きでもないのになぜかメタリカのTシャツしかずっと着てなくて(多分洗ってもすぐ乾く素材だったからそうなったんだと思う)化粧もせず、一人の時はずっと吐いたり泣いたりしていたので、兄に泣き笑いのような顔で「おめー、ブサイクになったなあ。ほんでなんでいつもメタリカなんじゃ。」と言われた時は、少し笑った。

少し話が逸れてしまった。父や母のことはまた別の機会に大切に文章に残したい。何年経ったいまも、しんどくて、向き合うのは覚悟のいることだけど、私も年を取ったら忘れてしまうこともあるかもしれないし、二人のことがとても好きだったから、出来る限り憶えていたい。

最期のことにちゃんと向き合ったら、笑っている母や父の夢が見れるようになるかもしれない。くだらなくて笑えるエピソードも、誰が聞いても爆笑するようなエピソードも泣かずにまた思い出せるかもしれない。いつまでも悲しいことにしていたくない。わりといびつな家庭環境で育った。でも両親にはちゃんと愛情をかけてもらったから、あんまり親らしくはないけれど、純粋で嘘がなく、人懐っこくて憎めない二人のもとで育ったから、わたしはこうして楽しく生きていられている。

いまはひとつひとつの縁、ひとりひとりの縁を大切に。ひとつひとつの場所を素直な心で訪れたいと思っている。自分の好きなものを大切にしたいし、怖がらず打ち明けて、縮こまった手足を伸ばして、歩いて、話して、世界を広げたい。

この先出会うかもしれない恋人には自分の好きな作品をたくさん教えたいし、教えてもらいたい。そしてその人がなにかに立ち止まりそうになったり、迷った時には、生半可な優しさでここにいればいいよと言うんじゃなくて、大きな優しさで背中を押せるような人になりたい。その人の持つ感覚とわたしの感覚が揃わない時にはそれは分からないと怖がらずに言えるようになりたい。分からないことは決してその人自身を否定することじゃないのだから。

そんなに行きたくない場所だけど近いから、じゃなく、その時にいちばん行きたい場所へ行き、いちばん食べたいものを食べ、心に浮かんだ言葉をその人に伝えるかどうかは別にして、自分の心のうちでは、ちゃんと見失わないようにしていきたい。

新宿のピースで通りを過ぎる人を見ながら、会いたい人の顔を思い浮かべる。それは今でも気軽に会える人、勇気を出せばまた会えるかもしれない人、これから出会うかもしれないまだ見ぬ人、そしてどうやっても物理的にはこの世ではもう会えはしない人。

会えるか会えないかはそんなに問題じゃなくて、会いたいと思い、その人がそこにまるでいるかのように輪郭が立ち浮かぶ。それが全てのような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?