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明治大学が1限の講義を原則メディア授業にすべき理由

何の事前知識もなくこの記事のタイトルを見た人は、一体どのような内容を期待するだろう?

私が「現に多くの大学生が1限に起きれず困っている」などと書き始めれば、拍子抜けだろうか。くだらない、と閉じられてしまうだろうか。
もう少しだけ、待ってほしい。
この記事はそういう人にこそ読んでほしいものだから。

○朝が弱い人に配慮するべきか?

あらためて考えてほしいのだが、どうして「現に多くの大学生が1限に起きれず困っている」という事実は軽視されているのだろう?

いやもちろん、少し冷静になってみれば理由は思い浮かぶ。例えば、以下のような意見があるのではないか。

A.「朝起きれず困っている」と同情を誘うような言い方をしているが、そもそもなぜ起きれないかといえば、夜ふかししていたからだろう。自己管理ができていないのが悪いのだ。ゆえに配慮など必要ない。
B.早起きができないのは意志が弱いからではないか。気合が足りてない。そういう怠け者は、甘やかせば甘やかすほど駄目になる。ゆえに、配慮など不要なのだ。

議論の筋道を明瞭にするためにまとめるなら、Aは朝起きれない理由を自己管理ができていないからとする「自己管理不足論」 で、Bは朝起きれない理由を意志が弱いからとする「怠け者論」だ。意志が弱いというのも自己管理能力の不足の一側面と見なせるので、「自己管理不足論」こそが朝起きれない人への配慮を不要とする意見の主な論拠と言える。

なるほどたしかに、自己管理が出来ていない人に配慮する必要がないというのは広く受け入れられそうな主張である。その価値観自体への反論はここではしない。

ここで私が指摘したいのは、「朝起きれないのは自己管理が出来ていないから」というのが勝手な決めつけに過ぎないという点だ。

例えば、低血圧の場合はどうだろう? 低血圧の人が朝に弱いというのはよく知られていることだが、果たしてそれは自己管理の問題か? 怠けているだけか? いや、遺伝的な体質の影響で低血圧になる人が少なくないという。

あるいは、もっと直接的に、世の中には「夜型人間」というものも存在する。朝型夜型などの分類をクロノタイプというのだが、人間のクロノタイプを決定づけるのは年齢・性別・環境だけでなく、遺伝的な影響もあるという。あまり知られていないが、この研究は着実に進んでおり、2017年には、人間の体内時計をコントロールする時計遺伝子の発見者らがノーベル賞を受賞している。今では、なんと遺伝子を調べるだけでその人が朝型か夜型か分かるようになってきているそうだ。また見逃せない事実として、夜型人間の数が朝型人間よりも圧倒的に少ないというわけではないことも分かっている。

低血圧にせよクロノタイプにせよ、遺伝子の影響によって朝に弱いとするなら、それは自己管理の問題とか怠けているだけとは言い難いはずだ。直接的な原因が夜ふかしにあるとしても、遺伝的に夜型であるならば、やはり自己管理が出来ていないとは言い難いだろう。眠くないときに眠るというのは簡単なことではない(逆に起きること・起き続けることについては多少の無理ができてしまうというのは別の問題としてある)。

そういうわけで、私は朝が弱い人に配慮すべきだと考えている。しかし、そうは言っても、まだ納得できていない方が多いだろうと思う。

そういう人は、以下のようなことを考えたのではないだろうか。

遺伝的に朝に弱い人がいるというのは分かったが、しかし現実を見れば、朝起きれない学生のほとんどはやはり自己管理が出来ていないだけなんじゃないか? と。

○朝に弱いから自己管理能力が低い?

冷静に考えてほしい。一体、何を根拠に「朝に弱い人の大多数は単に自己管理が出来ていないだけ」と言っているのか? 

それは思い込みじゃないと断定できるのか?
「黒人は体が大きくて危険だ」というような差別的偏見と同じではないか?

「いや、自分が知っている夜型人間は全員もれなく怠け者だ!」と断言できる人もいるかもしれない。仮にその認識が無意識の差別により歪められたものではないとしよう。しかし、そうだとしても、「自己管理能力が低いから夜型の生活をしている」という因果ではなく、「夜型人間だったから自己管理能力が低くなってしまった」という因果だとは考えられないか。これは一見よくわからなかったり誤解を招いてしまう言い方かもしれない。

簡潔に言うと、私が提示したい論点は、
「この社会は、夜型人間の自己効力感が低下しやすい構造になっているのではないか?」というものだ。(自己効力感が下がれば、自己管理能力も下がる)
これこそ私の問題意識の核心である。

まず身近な例から考えてみよう。夜型人間は朝に弱いため、意図せず遅刻してしまうことがあるかもしれない。そういうとき、彼は自分を駄目なやつだと罵るだろう。周りの大人も責めてくるはずだ。
一度や二度の遅刻なら、そこまで深刻なものにはならないかもしれないが、幾度か繰り返させるとしたら、どうだろう? なんとかしようと努力する。しかし、それでもどうにもならないこともある。そのうち、何をしたって無駄だと自分で自分を諦めるようになり、周りの人間も彼に期待しないようになるのではないかそれらは負の「予言の自己成就」を起こし、彼を実際に出来の悪い怠け者にしていく。

あるいは、無理して毎日きちんと起床し通学できたとしても、また別の問題が生じる。まず健康に良くないし、クロノタイプと一致しない時間帯(つまり夜型にとっての午前中)は、認知的能力も身体的能力も一致する時間に比べて劣ることが分かっている。また別の研究でも、学校でよくあるように午前中に試験を受けた場合、夜型の人の方が全体的に成績が悪かったという。
子どもの気持ちになってみると、1時間目から調子が出ずついていけなくなってしまったら、やる気を失ってしまいそうではないか。毎晩「明日こそは頑張ろう」と意気込んでも、いざ朝が来るとなぜか身体が思い通りに動かない。頭がうまく回らない。そんな日々が繰り返されるなら、学習性無力感(どうせ何をしても駄目だと諦めてしまう状態)に陥ってしまうのではないか。

要するに、「夜型人間は駄目なやつだと思われがちで、また自分自身でもそう信じさせられる環境に置かれているため、実際に駄目な怠け者(自己管理ができない人)に変わっていく」のだ。

◯能力の不足ではなく社会の抑圧

……ここまで読んでも、まだ「夜型だかなんだか知らないが、実際に朝起きれないのだから、それは事実として落ちこぼれじゃないか」と思う人がいるかもしれない。あるいは優しい心の持ち主でも、「ああ、夜型というのは生まれつきの障害なんだ、だから社会に適合できないんだ、かわいそうに」というような印象を抱いたかもしれない。

しかし逆に考えてほしい。あなたは夜ふかしが苦手な人を落ちこぼれと見なすだろうか? 夜ふかし出来ないことを障害だと思うだろうか? 思わないはずだ。
だが、もし学校や多くの仕事が夜から始まるような世界だったならば、夜ふかしが苦手な人は落ちこぼれと呼ばれるかもしれない。障害として同情されるかもしれない。それはおかしくないか? 理不尽じゃないか? その人自身に欠陥があるのではなく、そもそも社会のあり方が夜型中心的すぎることが悪いのだから。

まったく同じ問題がこの現実で起こっている。
私たちが生きているのは朝型中心社会なのだ。
この社会は夜型人間を抑圧している。ただ無理な生活を強いられているというだけでなく、それに適合できなかったものは蔑まれ、心を挫かれるのである。これは構造としては女性差別などと何ら変わらない。
かつて女性差別という言葉すらなく、社会が男性中心的であることが当然視され疑われてもいなかったのと同じように、今は朝早くから学校やほとんどの仕事が始まるなんて普通のことと思われているが、未来から見ればこれは「夜型差別」なのである。
私はこの差別を撤廃したい。夜型人間の生きづらさを少しでも取り除きたい。そしてクロノタイプの多様性が尊重される社会を実現したい。
では、私たちはどうすればこの差別をなくせるのか?
その一歩目として、まず何をすべきなのか?

◯明治大学の1限の原則メディア授業化を求めることが夜型差別撤廃の第一歩として優れている理由

 社会を、常識を変えるために第一にすべきことは、問題意識の共有である。今の社会の、今の常識の何がいけないのか。誰がどのように苦しめられているのか。それをより多くの人に知ってもらうことが必要である。
 そのため、まず多くの人にクロノタイプについての理解を深めてもらい、夜型差別という未だ知られていない差別の存在を広めていかなければならない。
 その目的に最も適しているのが、明治大学の一限を事実上の廃止とさせるための運動──めいじろう解放戦線なのだ!

 数多くの大学生が一限に苦しめられているのだから、必要性も話題性も抜群だろう。運動の過程では偏見を持つ人と議論し誤解を解いていける。晴れて明治大学が1限の廃止に踏み切ってくれれば、必ず大きなニュースになるはずだ。そうなれば他の大学も追随し、そのまま社会全体に問題意識が広まっていく。常識が揺らぎ始める。働き方も変わる。明治大学を変えるだけで、社会を大きく変えられるのだ。

 いや、そもそもそんな突飛な提案に大学が応じてくれるはずがない、と思われるかもしれない。しかし実際アメリカでは、クロノタイプの研究が進んだことによって、始業時間を遅らせた学校も出てきているという
 それに、私の要求は決して無茶なものではない。一限廃止とはいっても、授業時間が減るわけではないのだから。ただ一限の講義すべてを原則メディア授業(動画配信型)にしてくれと言っているだけなのだ。そんなに難しいことじゃないだろう。現に、コロナが猛威を振るっていたときは一限だけでなくほとんどの講義がメディア授業だったじゃないか。もちろん、講義の性質上メディア授業が向かないものもある。しかし逆に、動画配信型の方が向いている講義もあるとして、コロナの収束後もメディア授業を活用していく方針が打ち出されてもいるのだ。
 大学側はメディア授業に向いている講義を1限に持ってくるように調整すればいいだけなのだから、大した手間ではないだろう。私の提案を実現することは難しくないはずだ。私たちはただこの運動、めいじろう解放戦線を大きくしさえすればいい。

とにかく私は、この夜型が抑圧される社会を変えたい!

朝起きるのが辛い同志たちよ
差別を見過ごせない同志たちよ
ともに社会を変えようじゃないか
めいじろうの名のもとに!

◯ぼくらは社会を変えられる

 どうせ社会は変わらない。現代日本の空気は、そのような諦念に侵されている。けれど、これも一種の「予言の自己成就」かもしれない。ぼくらが諦めてしまっているからこそ、社会は変わらないのだ。
 気持ちはわかる。ぼくだって、本気で変えられると信じきれてるわけじゃない。けれど、一度くらい、遊びみたいな感覚で、祭りみたいな感覚で、ほんの少しだけ動いてみてもいいと、思っている。

 それに、まったく希望がないわけじゃない。実際に社会が変わった事例だってある。近い例として、育休のことを思い出してほしい。かつては出産後に会社に戻ってくるなんてあり得ないというのが常識だったのが、今では育休制度の充実どころか男性の育休まで推進されているじゃないか。より多くの人と問題意識を共有できれば、徐々に社会は良くなっていくはずなのだ。

 最後に、公開が遅れてしまったとはいえ一応は新歓記事なので、第一志望の大学に入れなかった新入生に、呼びかけよう。
 明治大学が社会に持つ影響力というのは決して明治より偏差値の高い大学に劣っていない。もし明治大学が変われば、きっと他の大学も追随するだろう。「No.1の大学に入れなかった……」と受験を引きずっているなら、めいじろう解放戦線に協力すればいい。この変革を成功させれば、名実ともに「やっぱり明治がNo.1」になれるのだから。

共にめいじろう解放を目指したいという方は「めいじろう解放戦線」というTwitterアカウントのフォローもお願いする。あるいは「#夜型差別撤廃」をつけて呟いたりするなどの援護をしてもらえたりすると、とても嬉しい! 一緒に盛り上げていきたい!
https://twitter.com/meijiro110


(書くタイミングを逃してしまっていたが、この記事は一応『【決起宣言】明大生の9割が知らない「めいじろう」の真実【解放戦線】』(https://note.com/meijiyuben/n/n2491842a2109)の続きである。よければこちらも読んでみてほしい)




〜〜以下、宣伝〜〜

明治大学雄辯部は2022年(令和4年)で創立132年を迎える歴史ある学術サークルです。活動内容は弁論に限らず、哲学対話や部員による企画発表(ディスカッション有)、研究会ごとの勉強会など、自己実現と社会貢献という理念のもと多岐にわたる活動を行っています。

この新歓記事は公開が5月になってしまいましたが、雄弁部はいつでも新入部員を募集しているので、問題ないでしょう。実際、活躍している自分の同期でも夏や秋に入部した部員がわりと多く、また二年から入った部員も少なくありませんから。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

参考
『朝型か夜型か』働き方改革研究所
https://www.teamspirit.co.jp/workforcesuccess/productivity/chrono-type.html

『「朝型」「夜型」は遺伝子で決まる!? 開拓進む睡眠研究の今』EMIRA
https://emira-t.jp/special/9535/

『California becomes first state in the country to push back school start times』
https://www.latimes.com/california/story/2019-10-13/california-first-state-country-later-school-start-times-new-law

written by 夜型差別撤廃を目指す会 初代会長
(後継者を探している……)

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