その3


 宿の食堂の窓からは、この町の中心を通る街道が見える。
 朝食が終わって時間が経って、正午にはまだ早く食堂に他の客の姿はない。昨日この宿に泊まった旅人はすでに出て行き、今日この宿に泊まる旅人もまだ街道の上だろう。亭主はカウンターの中で、とろんとした眼の娘と共に料理の仕込みをしている。
 リドゥは穏やかに宿の食堂の窓辺に座って、五〇〇年ぶりの町の気配を感じながら、商都レアエイムから仕入れているという南方群島産の茶葉を楽しんでいた。
 窓から見えるのは遅い出立の旅人の姿だ。人間だけでない人々。
 ゆったりとした服と雰囲気を纏ったエルフたち。
 ほっそりしたマズルを向けあって何事かを囁いては笑う獣人たち。
 ビア樽のような胴にジョッキのような手足を付けた厳めしい髭のドワーフたち。
 黒曜石の艶を持つ瞬かない複眼を、端整な彫刻のような顔に嵌め込んだ昆虫人たち。
 昔はこんなに雑多な人種の集まる地域ではなかった。
 五〇〇年前、このあたりの小国家群では、国を超えて地母神系の大宗教が幅を利かせており、彼らは他種族や他宗教の排斥傾向が強かった。
 外敵を設定することで内部の問題から目をそらさせ、集団としての纏まりを得ようという政治だったのだろう。
 諸王は神官を重用し、宗教による権威付けのために必死になって異教徒狩りを行っていた。
 私は神の忠実なしもべですよと言うわけだ。
 そのような宗教に浸食された国家群の端で、リドゥという小神を祀っていた小国家の行く末など明白であり、まあ、当然の結果を迎えたということだったのだろう。
 そして、自分と自分の信者を追いやった者たちも、結局衰退と滅亡へと向かってしまったのだと考えると、もの悲しく思える。

 しかし、それは今この道を通る人々には何の関係もない話なのだということもリドゥは実感し、それもまたよしと微笑んでいる。
 馬や蜥蜴に引かれた空の荷車に乗っているのは陽気な鼻歌を歌う農夫とその子供で、市に荷を下ろして帰るところのようだ。
 亭主によるとこの辺りには畑が広がり、近隣の町々に作物を提供しているのだそうだ。
 日持ちのする物は商都まで運ばれることもあるが、日持ちのしない青物などはこういった街道沿いの宿場町に卸されている。
 時折見られる箱馬車は貴族か大きな商いをする者だろう。気取った御者に大きな馬。金持ちというのは昔から見てくれを気にするものだ。
 開け放たれた扉と窓を通り抜けて風が流れる。街道沿いの宿屋に不似合いなほど立派な――それともリドゥが地下に潜っている間に時計が安くなったのか――柱時計がかちこちと針を鳴らす。
 顔を隠すベールの中でリドゥは微笑みを浮かべている。この二日間は心が浮き立つ素晴らしい日々だった。あの地下墓所に籠って五〇〇年、そしてそこで最後の信者を看取ってからの四二〇年、絶えて無かったような。
 あのとき、なぜ自分が消えてしまわないのかと随分考えた。己を祀る者の無い神に何の意味があるのかと。
 己が愛し、また、己を愛してくれた者たちの墓の世話をしながら、失意のうちに過ごした一二〇年のあと。今から三〇〇年前にふとあちらの世界での自分のことを、そしてあの男が来るということを『思い出した』あの日まで。
 天啓とは言うまい。神が啓示を受けるなど笑い話にもならない。あちらとこちら、過去と未来、絵の描かれた薄紙を幾枚も重ねたような記憶の混濁の中で、ただリュートの記憶がはっきりと浮かび上がり、そしてその通りになった。
 リドゥはリュートをこちらに寄越した誰かに感謝している。自分の存在が無駄ではなかったことの証明に思えるからだ。

 やがて、朝出て行った不肖の信者と親切な女が並んで戻って来るのが見えた。
 リュートは昨日あれだけ暴れたにもかかわらず折り目正しい神官衣と、固い光沢の銀灰色の髪を流し、見た目には人当たりの良い青年神官ふうだ。
 そのリュートに何事か話しかけられ、煩わしげに手を振って答えているリザベットは、見るものが見れば分かる小柄な仕事人と言った風情で、先だって瘴気に当てられた様子はもう残っていない。
 二人は言い争いを続けながら宿の扉をくぐり、リドゥのところまでやってくると、リザベットが親指で隣のリュートを指しながら、「ねえリドゥ。あんた、こいつより偉いんでしょ。なんとかしてくんないかな? 何もするなってだけのことがどうしても理解できないみたいなんだけど」とまくし立てる。
「理解してるとも。ただ臨機応変に対応する必要があると言ってるだけだろ」
 と、リュートは心外だとばかりに肩をすくめる。
 リザベットも、出会って数時間ほどは多少の警戒を持って接していたようだが、リドゥの見たところでは、この一日で大分馴染んできたようだ。
「おぬしもな、ええかげんにせんか。昨日あれだけやっておいてまだ足りんのか」
 溜息にベールが揺れる。
 リュートが口を開きかけた時、時計の長針が頂上を指して鐘が鳴る。
「準備は済んだのじゃろ? そろそろ街道に出て距離を稼ごうではないか」

 その日の行程は順調だった。宿場町をいくつか通り過ぎて、明日の日暮れまでには商都まで着くだろうという所まで進むことができた。
 夕食もまた比較的穏やかな空気のまま終わり、一人と一柱はまたいくらかの常識を仕入れることに成功した。辟易したような顔をしながらもリザベットは付き合ってやった。
 今日のリュートからは『強さ』というものについての質問が多かった。
 知る中で一番強い者どのくらい強いのか? リザベット自身はどの程度の強さなのか? 一緒に来ていた四人は? あるいはモンスターの強さとは?
 リザベットは、難しい顔をしながらも、あの四人の、そして自分の戦闘能力は決して高くないと言った。何せ王立書院では人が払底した状態だったのだし、事前調査では危険度は低いと判断されていた。
 彼らは調査員に成りたてのひよっこで、熱意や若さと言ったものは持っていたが実力や運は不足していた。つまり、一般人が数年訓練して到達する域だが、その程度であったと。
 彼女自身については幸運な部類ではあったのだろうが、戦力としてはまあ並みの域を出ない。
 スカウトギルドでは、情報を持ち帰ることが職務の一つとして数えられるため、基本的には危険なことを避ける方に重点が置かれる。そのため戦闘訓練は二の次とされているのだ。
 彼女の知る強い者という話では、実際に見たわけではないがと前置きを入れたうえで、この国で最強と言われる数名の名前が挙げられた。
 商都レアエイムの治安騎士団長ミールストーム。壮年の騎士であり熟達した魔術師でもあるその男は、攻城ワーム――突如現れて何もかもを呑み込む全長二〇〇メートルにもなるミミズの化け物――をたった一人で退けたという。
 近隣国家随一の戦術的広域攻撃魔法の使い手、王立書院魔術研究室室長にして宮廷魔術師団長キルノーグ。アドフィニア王国における最大の対外戦力と言われる宮廷魔術師団を纏め上げる人物。
 アドフィニアの地力を支える学究都市にして、大陸東部最大の歓楽都市アーレル、その闘技場を支配する闘技王。一対一の決闘では最強と名高い。
 その他、社会の裏側、あるいは外側にも実力者は多数おり、稀に起きる凶悪な事件でその力の一端が垣間見える程度だが、それらの力は今挙げた者たちに勝るとも劣らないと思わせられるという。
「モンスターについては……うーん、この辺りだとゴブリンやらコボルドみたいな、雑食で集団行動してる小型のやつらが多いんだけど、たまに増え過ぎて畑荒らしたりするのね。そういうのは領主が私兵出したりとか傭兵雇ったりで片付けてるかな。
 洞窟に隠れてるのを毒で半日燻して終わりになるくらいのもんだけど」
「害虫扱いか。世知辛いなあ……」というのはリュートのぼやきである。
 とは言え、リュートの経験や記憶に残っている印象でも大して変わりはしない。いわゆるハイ・ファンタジーと呼ばれる古典小説の類では人間やエルフなどに対抗する勢力として描かれる場合もあるが、現代創作界では力を失って久しく、およそただの経験値袋と化している方が多い。
「特別強いのだと、やっぱり上顎山脈に陣取ってるドラゴンかしらね。
 ちょっとした魔法剣じゃ傷も付かないとか、ミスリルを噛み砕くとか、ブレス一発岩をも溶かすとかってやつなんだけど、言葉は理解するし、爪とか鱗が特別な薬の材料になるとかで、交易ってほどじゃないけどやりとりはあるのよね」
「お、ドラゴン。いっぺん見ておきたいなそれは」
「やめときなさいって。あんた、言葉の通じる相手に気に入られるタイプじゃないもの。
 あとはまあ、今回みたいに発見したてのダンジョンとかで、奥の方に行ったら何かが出たりってのがうちは――あー、スカウトギルドはって意味ね――多くて、なるべく情報は持って帰るようにって言われてるんだけど、強さはそこから判断してく感じかしらね」
「ああ、体制は意外と整ってるんだな。そうすると、こないだのリッチなんかも前情報があったのか?」
「まあね。まず、邪法で不死化した、魔術師っぽくて実体のあるアンデッドを大体リッチって呼んでるのね。
 普通のリッチも、生身の頃とは魔力が段違いになるからまあマズいんだけど、そこから使える魔法のレベルが高くなるともう私なんかじゃお手上げね。逃げるだけならなんとかなるけどって感じ。
 で、不死化を進めて幽星界に同調し始めたり、完全に同調すると非物質化してて物理的な影響は受けないし、存在が桁違いの魔力に変換されるから使う魔法も強力になるのね」
「なるほどのう」
 はしたなくも、クリームのついた小ぶりなフォークを振りながら口を挟んだのはリドゥである。
「完全なアストラル化はしとらんかったがな、ほれ、最後まで残ったやつがおったじゃろ。あれなんぞは結構な所まで行っとったはずじゃ」
「俺は見ただけじゃ分からなかったからなあ。大して違いが無いように感じましたけど」
 リドゥは呆れたように「鈍い奴じゃな」と言って首を振る。
「何、リドゥは見ただけでわかっちゃうの? そういうの」
「あたりまえじゃ。わしは神じゃぞ」
「え、うん……」
 言い淀んだリザベットに、憤慨した様子でリドゥが抗議の声を上げる。
「もうちっと、こう、すっと納得せんかな。疑われとるようでわしは悲しいぞ」
 そのまま姿勢良くフォークの先に小さなケーキのかけらを乗せているリドゥに、リザベットは若干声を潜める。
「そうは言われても、神を騙るのなんてゴロゴロ居るしさあ……。
 確かにさ、ちょっとはその……すごいことも見たけどさ。『我こそが神なのだー』『ははー』なんて人前でやってたら、白い目で見られるじゃない?」
 さて、とリドゥは考える。確かに、神を騙る者はいつの時代も後を絶たない。神と言うのは不便な身分だ。本物だと知れたら知れたで面倒ごとは起きるだろう。
「うーむ。やはりのう。当面の間は素性を隠すかのう」
「なんか越後の縮緬問屋みたいですね、そういうの」
「エチゴ?」
 リュートはリザベットのつぶやきを「俺の国の地名だよ」と軽く流し「どう呼びましょうか」とリドゥに問いかける。
「うむ、そうじゃな。とりあえずリュートよ、わしのことは親しみを込めてリドゥちゃんと呼ぶがよい」
「そうですね。とりあえず人目のあるところではリドゥ様と呼びましょうか。まあ、巫女様とお供の神官と言った体で行きましょう」
「たまーにそこはかとない距離を感じるのう。なんじゃ、シャイボーイか?」
「俺はこれでもリドゥ教徒ですからね、自分のとこの主神をちゃんづけとか畏れ多いじゃないですか。あっ、ほら鳥肌が」
 リドゥは自分の腕をさすり始めたリュートに、わざとらしい奴じゃのうと言って首を振っている。
「まあ、いいんだけど……」
 明日の夜にはレアエイムに入れるはずだ。近隣随一の商都、レアエイムに。

◆◇◆◇◆◇◆


「――それで、化け物から助けてもらったと」
「はい」
 レアエイムに到着した翌日のこと、都市中心部から少々はずれたところにあるスカウトギルドのオフィスである。リザベットと来訪者二人はオフィサー・フィンクのデスクの前に椅子を並べて座っている。
 フィンクの背後に位置する窓から朝日が差し込んで、壁一面の書類棚に几帳面に並べられた資料を照らしている。デスクにはリザベットがこの二日で書き上げた報告書が置かれ、リザベットによる説明中にもいくらか追加の情報が書き込まれていた。
 彼はスカウトギルドにおけるリザベットの直接の上司でありスカウト技術の師で、レアエイム周辺の遺跡を調査するチームのうち一つの責任者である。リドゥが五〇〇年前まで祀られていた国も――今回の事があるまでは存在すら知られていなかったものの――その担当範囲に入っている。
 フィンクはシルバーグレイの髪をかき上げてため息を付く。まったく危ないところだったようだ。リザベットはギルドにとっての優秀なスカウトだし、一五年ほど前から面倒を見ている、娘のようなものでもある。
「私からも礼を言わせてくれ。リザベットを助けてくれてありがとう。これは私の預かりでな」
「なに、当たり前のことをしたまでじゃよ。あの墳墓はわしの家みたいなものじゃしな。
 むしろ、手遅れになった者たちには申し訳ないことじゃ」
「それは君が心配することではない。
 いくら新米でも覚悟は決めていたはずだ」
 沈んだ声で言ったリドゥに、フィンクは淡々と告げる。彼に対し、リュートとリドゥについては「古神を信奉する最後の一派だ」という説明をしてある。それなりに珍しいことではあるが、瑣末な神の信奉者はいたるところにおり、妄想だとか神だとかを説明するよりよほど良いだろうということになったのだ。
「彼らの遺体については、我々が責任を持って預かろう。
 何しろこんな仕事だ、遺体が戻るだけでも運がいい。……いや、彼ら自身にとっては幸運も何も無いか」
 遺体は街に入る前にリドゥが棺ごと呼び寄せ、リュートの所持していた荷車に乗せて街門の詰め所に預けてある。ここでもリザベットの持つ身分証が役に立って、特に何を言われることも無かった。近年は少なくなったが、スカウトギルドや王立書院の構成員の遺体が街に戻ることもこれが初めてではない。
 彼らの行っている遺跡や何やらの調査は危険な仕事なのだ。その分払いは良いが、実際に死んでしまった彼らにとっては無意味な話だろう。
 ぎしりと安物の椅子をきしませて、リュートが姿勢を正す。
「次は我々からのお願いの話をさせてもらってもいいですか?」
「もちろんだとも」
 フィンクが頷いて先を促す。
「あそこは、あなた方も知っている通り墓所だ。あまり騒がしくされては敵わない。
 調査の中止と今後の不関与をお願いしたいんですよ」
「つまり、ほっといてくれと」
「ええ」
 フィンクはこめかみに指をやって考える。
 リッチというモンスターの脅威度。
 副葬品の価値。特に、書院のキュレーターが騒いでいた一部の魔道具。
 うめくように深い息をつくと「無論、善処はするが」と前置いたうえで続ける。
「駆け出しとはいえ、調査隊が全滅するようなものが出現したのだ。全くの放置という訳にはいかない。
 特に、書院の方は犠牲者が出ている以上納得しないだろう。化け物は既に倒されたという話で持っていけると思うが、それにしても街が近い。どんな形であれ追加調査は必要だ。
 それと……恩人を疑うようで心苦しいのだが……」
 苦い顔で言い淀む。この男は真面目な人間なのだろうとリュートは思う。得体の知れない二人組に本当に恩を感じているのだ。
「あの遺跡が君たちのものであるという根拠が欲しい。書院を納得させられるだけのものが。
 まあ、調査するにも人集めからだ。暫く時間は開く。それまで、とりあえずは調査中断ということで勘弁してほしい。
 もちろん、再開するときには声をかけさせてもらう」
「そんな所でしょうね」とリュートは肩をすくめる。リュートとしても切れる手札が多いわけではない。多少なりとも平和的、協力的な態度が得られたことに感謝すべきだろう。
「根拠と言うか証拠と言うか、出入り口の結界の開け閉めとかであれば、我々を同行させてもらえれば見せられると思いますよ。
 それから、副葬品のことなんですが――」
「ああ、それはわしから話そう」
 リュートの言葉に、リドゥが口を挟む。墳墓の責任者として、死者の魂を安んじる墓守として、リドゥにとってはこれが本題だ。
「墳墓の中から何点か無くなったものがある。おぬしらから見たあれらの価値はわからんが、本人や家族の想いが込められたものじゃ。もしそちらで回収しておるなら、必要な調査が終わってからでよい、返却を願いたいのじゃ。
 わしもここの所うわの空で、管理の不備を言われれば返す言葉も無いんじゃが……」
「リドゥ様、遠慮してちゃ始まりません。盗まれたら盗んだほうが悪いんですよ。十両盗めば死罪と御定書にもあります」
 フィンクは、相手にわからないように深くゆっくりと息を吐く。回収された物品はフィンクも確認している。書院のライブラリで保管されているはずだ。横流しをするほどの問題職員は居ないだろうが、書院の保管庫は――あるいはそこで従事するキュレーターは――底なし沼だ。それらを手放させるのは骨が折れるだろう。
 スカウトギルドで回収した物品に正当な所持者がいて、返還を要請してきたという前例はある。書院から取り戻すのも難しいが不可能ではないだろう。しかしやはり手間と時間がかかる。厄介な話を持ち込んでくれたという視線は、先ほどから目を逸らしているリザベットには届いていまい。あるいは、届いているからこそ逸らせているのか。

 フィンク自身嫌になるほど官僚的なその説明を始めたとき、慌ただしい足音とともに部屋の扉がノックされ、返事も待たずに男が入ってくる。
「失礼します」
 紙束を抱えて入ってきたのは仕立ての良い服に身を包んだ若い男だった。フィンクとリザベットとは顔見知りのようで目線で挨拶をし、リュートとリドゥには軽く会釈をしてフィンクの補佐をしている者だと名乗った。部外者二人が居ることで一瞬躊躇したようだったが、フィンクが促すように顎を振ると小さく呼吸を整え、手元の紙束にちらりと目をやる。
「緊急の要件が上がってきました。北区の水道工事現場でレベル三のダンジョン災害です。重体二死亡一、被害は酸によるものと恐らく生物毒、封鎖済みですがまだ奥に人が残っているようです」
「北区? 街中だろう。なぜうちに回ってくるんだ」
 北区は新しい住宅地だ。レアエイムの人口が増えるにつれ、街が拡張されるとともに移入が進んでいる。中心部から遠く、治安は良くないが、それでもスラムというほどでもない。
 当然街の中だ、ダンジョンやフィールドを主な調査対象としているスカウトギルドには関係の無い場所のはずである。
「それが……作業員達が、現場は遺跡につながっていたと言い出してまして」
「何それ。どっかぶち抜いたの? にしても今更出てくる?」
 リザベットの言葉にフィンクは首を振って「あり得ないことではない」と言う。「あり得ないことではないが……」と。
「作業員達も混乱していて、はっきりしたことは不明ですが、発見した時にどうやら現場で秘匿しようとしていたようで、一部の者しか存在を知らなかったそうです」
 浄水場や地下水道を作るための調査は何度も行われたはずだ。フィンクは直接関わったことはないが、そのような調査が行われていることは知っている。それらの調査から隠せるものだろうか。
 紙束を持った男も困惑した様子でフィンクの判断を待っている。
「まあ、状況は分かった。治安騎士団はどうした。何にせよ初動はあっちだろう」
「その治安騎士団から要請が来てるんです。中はどうやらかなり深いらしく、スカウトを貸してくれと」
「……ふむ。リザベット、行けるか」
「ええ、はい、ボス。というか、他に居ないんですよね?」
「そうだな。そうだ」
 スカウトギルドは今、書院の行動に合わせて人を動かしているのだ、当然人が余っているわけではない。リドゥの墳墓の件も、合間を縫うように掠め取ったものだったのだ。人員がないのだから、今手近で動けるリザベットが行く他ない。
 黙って聞いていたリュートとリドゥが視線を合わせる。
 リドゥの表情はベールの向こうで見えないが、リュートは口元では笑いながらも眉根を寄せている。あきらかな面倒ごとの気配を感じて首を突っ込みたがる者は居ないだろうが、善良なる神官職には隣人に対しての振る舞いというものがある。その板挟みを見事に表現して見せたリュートは、良かれ悪しかれ正直な男なのだろうとフィンクは思う。
「さて、フィンク殿。わしらの協力できることはあるかな? 聞いておる所では怪我人なり出とるのじゃろう。これでも神官の端くれじゃ、おっておらんよりましという事もあるまい」
 渋い顔をして黙り込んだフィンクに、紙束の男が細かい状況を説明する。曰く「怪我人多数」「解毒するまで動かせない」「まだ奥から回収」「今後増える予想」フィンクはため息をついた。
「リドゥ、それからリュート。どうか協力してくれ。正式な依頼として相応の報酬を出そう。そちらの希望についてももちろん善処しよう。墳墓の件も、副葬品の件も」
 これらの協力依頼は通常の業務の範囲内であり、文句を言う者も居るまいというフィンクの言葉に、リドゥは得たりとばかりに、リュートはため息交じりに頷いた。
「引き受けた」
「任されましょう」
 結局、組織というものは人手不足には敵わないということだ。

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