フィリアス・メネルグロス(元冒険者/魔術師、エルフ)の話

 あれはそう、150年ほども前のことだったかな。
 南の方の海に浮かぶ島の、シアルーパという小さな国の王女が、遠い国に嫁入りをするというので、彼女を護衛する仕事を受けたんだよ。
 ああ、そうだよ、テン、かわいいお嬢さん。お姫様さ。オリビアという名前の、それはそれは美しいひとだった。
 小さな太陽のように明るい人だったよ。日に焼けた肌に、黒絹のようになめらかな髪とマリンブルーの瞳がよく似合っていたものだ。

 その国は海運で栄えていてね。国と国を結んで、果物や香辛料、染料なんかを方々に運んでいたんだ。
 さて、テン。船は港のあるどの国にもあるだろう? それでも、周りの国がシアルーパの船乗りに荷を運んでもらいたがったのは何故だと思う?
 いいや、 かわいいお嬢さん。彼らは自分の腕を安く売りはしなかったよ。むしろ、周りの国々の船乗りと比べても高いくらいだったさ。
 ああ、そう、そうだ。私が君にお願いするのと同じ理由だね。
 私は重いものは持てない。君のように、麦の袋を背負って粉屋からエレインのお店まで走ることもできない。
 彼らも、周りの国の人々も、あの海で荷を早く正確に運ぶことは、シアルーパの船乗りたちにしかできないことだと分かっていたのだよ。
 シアルーパの辺りには小さな島が無数にあってね、早い流れや遅い流れが入り組んでいて、岩礁だってある。
 ああ、岩礁というのはね、テン。海の浅いところに、海面からは見えないけれど、大きな岩があるんだ。ぶつかってしまったら船が沈んでしまうのだよ。
 そう、大変なことだよ、かわいいお嬢さん。船乗りたちだって、船を失って海に投げ出されてしまえば、遠からず死んでしまうことになるのだから。
 だがね、君、彼らシアルーパの船乗りたちは、近くの海の隅から隅まで知っていて、どうやって船を動かせば早く安全に荷を運ぶことができるかを知っていたのだよ。

 そしてもちろん、大切なシアルーパのお姫様を運ぶのも、シアルーパの船乗りたちだったのさ。
 お姫様の船はプリンセス・オリビア号と言ってね。十五歳の誕生日に王様からプレゼントされた船だったそうだよ。
 そうだよ、かわいいお嬢さん。誕生日プレゼントだ。とても大きなプレゼントだね。
 うん、うん、よく見ているね、テン。そう、昨日から、この街の港にも大きな船が泊まっているね。
 あれは違う国の王様が乗ってきた船だがね、君。プリンセス・オリビア号も同じくらい大きい船だったよ。
 だがね、かわいいお嬢さん。オリビアの船はもっと美しく、もっと優雅で、比べ物にならないくらい素晴らしい船だったのだよ。
 白く塗られた船体は飛沫を上げて輝いて、高いマストに張った大きな帆は風を受けて大きく膨らんでいたよ。

 そして、そう、その船に、私や他の冒険者も一緒に乗り込んでね。
 ふふ、でもね、テン、かわいいお嬢さん。私達冒険者はね、オマケだったのだよ。
 何しろ、船乗りたちは勇敢だったし、シアルーパの海軍だって、数は少なくとも一騎当千の強者揃いだったからね。
 私と仲間たちの役割は、オリビア姫のお話相手だったのだよ。
 何しろ、何週間も船の上だ。いくら船に慣れたオリビア姫とは言え、退屈してしまうだろうからね。
 こうして君に話すように、色々な冒険の話をしてさしあげたものだよ。

 さて、テン、さきほど君の言っていた王様の船の側面に、窓のようなものが並んでいただろう。
 あれはね、大砲を撃つための窓なのだよ、君。海賊船や大きなモンスターが現れたときには、大砲を撃って攻撃するのだよ。
 そう、大きなモンスターだよ。海にはね、恐ろしく大きなモンスターがいるのだよ、君。
 シーサーペントを知っているかね、テン。海棲の竜の一種、あるいはその近縁と言われているのだがね。
 鰭を持った蛇のような姿をしていて、海流や天候まで操るのだそうだよ。
 しかしね、蛇のようだと言ったがね、君、竜の類はね、地上でも大きいが、海の中ではもっと大きいのだよ。
 その体の長さときたら、君の見た船の何倍もあって、人間なんかボートと一緒に一口で食べてしまうくらいだ。
 体当たりでもされれば、どんなに立派な船でも真っ二つになって海に沈んでしまうのだよ。
 ああ、そうだよ、私の小さなお嬢さん、竜はとても恐ろしいものだよ。陸でも海でもね。

 さて、さて。実際に出会ってしまったら、か。それはとても難しい問題だよ、テン。
 船の上から攻撃をするには、弓や魔法に頼ることになるだろうし、何より、そのために大砲を積んでいるのだよ。
 さあ、以前教えたね、テン。水に住むモンスターにはどの属性が有効だったかな?
 そう、テン、そのとおり。火と雷だよ。頭の良いお嬢さんだ。
 あるいは、そう、勇敢な熟練の船乗りならば、シーサーペントを恐れず近付けるかもしれない。

 さて、シアルーパの近くの海は、海流が複雑に入り組んでいる、という話はさきほどしたね、君。
 その複雑さときたら大変なもので、流されるままになっていると、三日かけてぐるりと元の場所に戻ることもあるほどなのだよ。
 とはいえ、プリンセス・オリビア号を操っている船員はシアルーパの海を知り尽くした船乗りだ。
 海流や岩礁なんか物ともしないのだよ。

 しかしね、何日か同じ人々と一緒に居れば妙な雰囲気というのはわかるようになるものさ。
 航海士や操舵手など、船の航行に直接関わる人々の顔色が優れないようだ、とね。
 朝食の、美味しいパンを目の前にしているのに、心ここにあらずといったていでね。
 ふふ、そうだね、かわいいお嬢さん。セレインの前でそんなことをしたら大変だよ。
 だが、彼らの前にあったのはあの星詠みのパンではなく、普通の一流の焼いたパンだったからね。心配事ができれば上の空にもなろうものさ。

 さて、私と仲間たちはね、いつも陽気な航海士が、パンを手に考え込んでいる様子を見て、これはおかしいぞと思い始めたのさ。
 それで、航海士に直接尋ねてみたんだが、どうにも要領を得ない。どうやらね、誰かに何かを秘密にしろと言われているようなのさ。
 さあ、テン、君ならどうするかな?
 そう、そうだ、賢いお嬢さん。船長に話を聞きに行くのが良いだろうね。
 船長という職業はね、テン。船の中で一番偉い人だ。船の航行中はね。
 自分の仕える主君の娘、船の持ち主であるオリビア姫に対してすら、非常時には命令することになる立場なのだよ。
 いや、いや、たとえ王様が乗っていようともね、かわいいお嬢さん。船の上では船長が一番偉くなくてはいけないのだよ。
 そう、命令だ。だがこれはね、必要なことなのだよ。
 王様は確かに偉いのだがね、海や船のことには船長のほうが詳しいものだよ。
 海に詳しくない者が指示したのでは、船が暗礁に乗り上げたり、海流で迷子になるかもしれない。
 そして、冒険者には馴染みの薄い感覚だがね、テン、人の集団は、リーダーが一人でないとうまくいかないものなのさ。
 一つの集団には二人のリーダーを置いてはいけないのだよ。それは船長が二人いるようなものだ。
 一人の船長は右に行けというのに、もうひとりの船長が左に行けと行ったら、操舵士は困ってしまうだろう?
 だから、船の上では王様でも船長に従うのさ。

 そう、そして、私と仲間たちは偉い船長に会いに行ったのだよ。
 船長から聞けたのはね、あまり良い話ではなかったのだよ、テン、かわいいお嬢さん。
 どうやら、サハギンの群れがプリンセス・オリビア号を追いかけてくるというのさ。
 そう、そうだよ、半魚人だ。
 ああ、恐ろしかったとも、少しはね。海の中に引きずり込まれてしまえば、勝ち目は無いからね。
 その時船に乗っていた仲間たちはね、腕利きと言っていい冒険者だったよ。
 しかし、私たちは海の上での戦闘がとても得意というわけではなかったのだよ。
 力を合わせて、竜や魔神を倒したこともあったけれどね、もちろん、陸の上でのことだったからね。

 最初に発見したのは見張りの船員でね、その前の日の早朝にいくつものサハギンの姿が見えたそうだ。
 船長も全力でね、引き離そうと試みていたらしいのだがね。もう、その日のうちには追いつかれてしまうだろうということだったのだよ。
 船長は、私と仲間たちに話したことで覚悟が決まったのだろうね。
 それからすぐに、お姫様にも報告してね。船の乗組員を甲板に集めて、サハギンのことを話したのさ。
 オリビア姫からもね、激励の言葉を賜ったよ。そして、その場で、オリビア姫もまた戦闘に参加すると仰ったのさ。
 彼女も剣は得意だし、船上での戦闘にも慣れているというのでね。
 乗組員は大喜びでね。お姫様にいいところを見せようというので、士気は大いに上がったとも。
 なにせシアルーパはね、剛健な国だったのだよ。船乗りにも、王族にも、軟弱なものなど居なかったのさ。
 しかし、船長は渋い顔をしていたよ。
 お姫様の安全は守らなければならないが、少しでも戦えるものはかき集めなければならないと考えていたのだろうね。
 船長は、戦士としてのオリビアを尊敬していたのだよ。シアルーパの船乗りたちは、そしてシアルーパのお姫様はそういう人々だったのさ。

 それからは大忙しさ。プリンセス・オリビア号は大きな軍艦にも引けを取らない船だったからね。
 海兵や魔法使い、弓兵が整然と配置についてね。
 私と仲間たちも一緒になって準備をしていたら、見張りが大声で叫んだ。来たぞ、とね。

 三又槍を携えて、水面から勢いよく飛び出したサハギンたちは、あっという間に甲板に着地してね。
 幾人かの弓兵が途中で叩き落としたようだったが、大乱闘さ。
 オリビア姫の戦いは見事だったよ。サハギンの槍を身軽に躱しては巧みに剣で切りつけるのさ。
 私の仲間たちもね、よく戦ったとも。雷の魔法を使えるものも居てね。
 ふふ、いや、いや。私自身はね、隅の方で縮こまっているだけだったよ、テン、かわいいお嬢さん。
 確かに私は冒険者だったが、戦闘の方はからっきしでね。魔法でほんの少し攻撃をするくらいしかできなかったのだよ。
 ほとんどは仲間たちに守ってもらっていたのさ。

 さて、戦闘が始まり、何時間も経ったように思えてきた頃だ。
 負傷者も増えてきて、頼りになる仲間たちも、勇敢な海兵たちも、いよいよ危なくなってきた。
 何しろ、サハギンたちは後から後から飛び出して来ては、槍や水の魔法で攻撃してくるのだよ。
 その攻撃は無限に続くと思われたよ。
 だがね、不意にサハギンたちの様子がおかしくなったのだよ。
 サハギンの言葉は専門ではないが、どうやら慌てているようだというのは分かったのさ。
 その時だよ、甲高い笛と重厚な弦楽器が何百も合わさったような音が、大きく、長く、海の底から響いてきたのは。
 経験があるかな、テン、かわいいお嬢さん? 大きな音が鳴るとね、腹の底がびりびりと震えるのだよ。
 私も、仲間たちも、海兵たちのほとんども、何が起きたのか分からず、呆然としていたよ。

 サハギンたちはと言えば、狂乱状態でね。
 我々のことなど無視して、脱兎のごとく走り出したかと思ったら、槍まで投げ出して海に飛び込んでいく始末さ。
 何がなんだかさっぱり分からなかったよ。
 だがね、サハギンたちが全部海に飛び込んだかどうかという時にね、船長が大声で叫んだんだ。何かに掴まれ、とね。
 船長には、どうやら分かっているようだったよ。このあと何が起きるのかが。
 私たちは、兎にも角にも、近くにあった手すりやら、帆を張るためのロープに掴まってね。
 一瞬の静寂だよ。
 奇妙なことだがね、その一瞬の青い空と、もっと青い海を覚えているよ。

 その、私の瞼に焼き付いて離れない一瞬のあと、船が、ぐんと持ち上げられたのだよ。
 甲板に押し付けられるような感覚のあと、浮遊感が襲ってきた。
 その中で、私も、私の仲間たちも、オリビア姫も、船長も、船員たちも。
 みんなで見たのだよ、とても大きなシーサーペントをね。

 海面から空に向かって、お城のように大きなシーサーペントが、竜巻のように水を纏って飛び出していたのさ。
 哀れなサハギンたちは、もみくちゃにされて竜巻に吸い上げられていたよ。
 雲に届くかというところまで打ち上げられてね。
 とても高いところから海に叩きつけられるとね、テン、かわいいお嬢さん。その衝撃は岩の上に落ちるのと大差が無いくらいになるのだよ。

 さあ、船は大きく揺れて、揺れ続けた。
 みんな、次に来るのはシーサーペントの体当たりか、それとも竜巻かとね、戦々恐々としていたよ。
 しかし、その後は何も起こらなかった。全くね。
 恐る恐る船縁から覗いてみると、あたりの海にはバラバラになったサハギンたちが浮いているばかりさ。
 しばらくは警戒していたがね、どうやら無事に乗り切ったことが分かるとね、みんなで歓声を上げたものだよ。

 さあ、この話はおしまいだよ、テン、かわいいお嬢さん。
 どうしてシーサーペントがプリンセス・オリビア号を守ってくれたのかは、結局誰にも分からなかったのさ。
 きっと、シーサーペントはサハギンたちが気に入らなかったのだろうよ。
 もしかしたら、前から争っていたのかもしれないね。
 だがね、テン、かわいいお嬢さん。
 この世界の海で、シーサーペントを敵に回そうなんて考えてはいけないよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?