お題箱:5000兆回生きたねこ

 ねこシミュレーターの中のねこが5000兆回めの生を受けた。
 一部のスパコンとグリッド・コンピューティングによって膨大なリソースが費やされ、ねこのシミュレーションを繰り返してきたねこシミュレーターも、計画の大半を終えようとしているらしい。
 この5000兆回めの生を受けたねこは、偶然なのか開発者の意図なのか、一回めに生まれたねこと全く同じ柄のトラ白で、オスで、緑の目で、鼻はピンク色をしていた。
 今回、彼の生まれた場所は古い住宅地の空き家の縁の下の中で、他にも4匹の兄弟が居た。
 彼は最初に目を覚ますと、まず兄弟たちを押しのけて一番いい場所で乳を飲み、それから眠った。
 今の彼には世界中の人間が注目していたが、時には誰にも注目されずにシミュレーションの上での生を終えたねこもいた。
 そのねこも、今のねこも、同じねこだ。

 少々分かりづらいかもしれないが、インスタンスという概念によって彼は彼としての自己を保持している。
 ただ、彼の持つパラメータは、彼が生まれるごとに少しずつ違っていた。
 過去4999兆9999億9999万9999回の生で、世界中のあらゆる場所で彼は生まれた。
 その場所は完全にランダムだったが、今回のような住宅地は(もともとねこの数が多かったので)よく選ばれたし、たまには絶海の孤島でねこの亜種として生まれることもあった。
 彼が希少な種として生まれた時、コミュニティは大いに盛り上がったし、特別な名前が付けられることもあった。
 僕はこのシミュレーション・プロジェクトに結構初期から参加していていたので、主要な出来事は大体知っている。
 サバンナのライオンの雄として生まれて、一大プライドを築き上げたところも見たし、寺の住職に飼われて、まさに昭和のねこ然とした生活を送ったことも知っている。
 寒冷地での長毛種として生まれた時は獲物を求めて月明かりの照り返しの中をさまよっていたことも。
 血統書付きの無毛種として生まれて何不自由なく暮らしていたことも。
 中型の山猫として山で狩りをする美しい姿だって、鮮明に思い出せる。
 ジャガーに生まれ、樹上から獲物を狙い、一撃で仕留めた時は心が躍った。
 しかし、種や大きさや生活環境によらず、彼がよくやるしぐさを見たとき、僕たちは、僕たちの見ているねこがあのねこであることを強く実感するのだ。

 正直なところ、このねこシミュレーターの主催団体が、何の目的でこのねこをシミュレートしているのか僕にはわからない。
 きっとほとんどの人たちが知らないだろう。
 参加者の誰もが知らないところで科学の発展に寄与しているのかもしれない。
 単に生物学的な好奇心を満たすためなのかもしれない。
 あるいはこのねこに関する悲しい物語があるのかもしれない。
 もしかしたら意味なんて無いのかもしれない。
 それでも、僕はこの5000兆回目の生を受けたねこを、どうやら愛しているのだ。


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