ルーパの海

 そこはルーパと呼ばれる星だ。ルーパと言うのは現地の言葉を地球人類がなんとか発音できるようにしたもので、はるか昔の偉大な王の名前なのだという。陸地は惑星の総面積の二十パーセントに満たず、海棲生物から進化したと考えられている現地人たちは、主に捕獲したTACボートを輸出して生活していた。
 もちろん、太古の昔からそうだったわけではない。そもそもTACボート、Tactical Boatというのは五百年かそこら前に射手座腕のどこかで発見された機械知性体の一種で、その丈夫な外郭と気密性、わりあい均質な区画構造が注目されてはいたものの、成長が遅く量産に適していなかったために、ほぼワンオフに近い形でしか流通していなかった。
 つまり、どこかの頭のいい誰かが気付いたのだ。あの星の海の中に溶け出した種々様々な金属元素の比率や濃度、自転と質量と二つの衛星に依るあの星の重力の大きさが、TACボートの発育に具合よく適合していることに。さらにその馬鹿は、自分の儲けのために、TACボートをいくらかあの星に持ち込んだ。そして、宇宙中の人々が気付いた時にはルーパの海はTACボートが支配していた。
 いや、支配という言葉は少し大げさかもしれない。何しろ惑星ルーパには現地人たち、つまりルーパの民と自らを呼ぶ人々がいる。骨の無い触腕四本と瑠璃色の金属光沢のウロコを持ち、七枚のヒレを広げて優雅に泳ぐルーパの民と、彼らが使う自律潜水機が相手では、いかに成体のTACボートとはいえ分が悪いというものだろう。
 そもそもが航宙艇の一種であるTACボートは、その育成に適した組成をしているとはいえ、主成分がDHMOの海の中では大した動きはできないのに対し、ルーパの民はTACボートの五十分の一の大きさしか無くとも、あの海の中で最も力強く、速く、巧みに泳ぐことができた。

 TACボートが持ち込まれたのは、およそ二百年ほど前のことで、奇しくもその時代は、彼らルーパの民が、ルーパの海に対する他惑星種族の手出しや立ち入りの完全な禁止を条件に、銀河連邦に加盟した頃と一致する。連邦としては、今も昔も相変わらず、内紛やら小競り合いやら戦争やらと、抱えられるだけのものは抱え込んでいたので、宙政学的に大した魅力を持たない辺境惑星の、多少の資源が埋まった小さな水たまりの小さな船のことなどを気にかける余裕は無かったのだ。
 ともかく、ルーパの海は大方の問題を呑み込んで、TACボートのために生態系のちょっとした場所を空けてやった。頭のいい馬鹿な誰かが、様々な事情の落とし所として既知宇宙で一番年老いた恒星の寿命より長い禁錮にかけられたことや、元の生息宙域ではほとんど絶滅しかかっていることなど気にもしないで、TACボートはルーパの海で繁栄を極め、惑星ルーパの一大産業として確固たる地位を確立した。

 ルーパの民は、水中の知的種族の半分がそうであるように、音をよく使う。彼らの使う音は近話用と遠話用の二種類で、近話用のものは、体内で精製した小さな金属塊を打ち鳴らし、その音を聞く。遠話用のものは、食物の消化時に発生したガスを、声帯にあたる器官に循環させて発声するのだ。
 その遠話用の音は、使い方によっては水中にある金属の塊、つまりTACボートにとっては大きな脅威になる。数十キロメートル離れた位置からでも正確に位置が分かり、ある程度の大きさも判明するのだ。その能力によって、ルーパの民は手ごろな大きさのTACボートを見つけ、追い込み、捕獲し、陸地で待つ惑星外の商人たちの元へと運ぶことができたのである。
 引き渡されたTACボートは、エンジニアたちの手によって自らの役目を思い出させられ、潜水艇から航宙艇へと立ち返ることになる。そうしてTACボートを一隻売れば、その氏族は標準時で一年は安泰だった。銀河共通貨幣はあの星でも有効で、隣の氏族と食料のやり取りをするのにも使えるし、様々な海域を旅して物品を売って暮らす回遊性の氏族も居る。
 しかし、TACボートの方も学習を続けており、近年では、周囲の地形に溶け込む擬装や、音波を散乱させる表面加工、果ては電磁波を吸収して簡易的なステルスボートとなるものも現れている。だが、それらはまた、TACボート自身の価値を上げる結果となり、ルーパの海の正統な王者を自認し、獰猛な狩猟採集民であったルーパの民の狩人たちの大いなる関心を誘うこととなっている。

 そのルーパの民をして、現地語でウールルラ・ルーパ、多少のニュアンスの違いを無視して訳せば“ルーパの覇者”と呼ばれるTACボートが存在する。
 それがいつ生まれたのかは誰にも分からない。最初は、狩人たちが互いにその存在を仄めかし合い、互いに笑い話として片付けた話だった。次に、感覚の鋭敏な若者が大きな船を聞いたという話が、その友人たちの間でなされた。そして、各氏族の長たちの遠話の中にも、強く、速く、賢いTACボートが登場するまでになった。
 その巨体は駆逐艦にも匹敵し、フォトンネットで巻き取ろうにも、軽く身をよじるだけでネットは食い破られた。
 その速力はルーパの民の最も速い潜水機の倍も速く、水が泡立つほどに加速しても決して追いつけなかった。
 その知恵はルーパの海で最も深い谷よりもなお深く、四の四の四倍ものTACボートを仕留めた熟練の狩人がいとも容易く欺かれた。
 まさに歴戦のつわものであり、まさにウールルラ・ルーパであった。
 爾来百五十年、ルーパの海の半分はいまだにウールルラ・ルーパのものだ。

 ルーパの海で最も強く、早く、賢いはずのルーパの民が、一隻のTACボートすら捕えられないという事実は、ルーパの民の誇りをいたく傷つけた。
 ルーパの民の間では、ウールルラ・ルーパをどこの誰が捕えるのかという話題が尽きることは無く、一部のものたちなどはウールルラ・ルーパを憎みすらした。ルーパの民にとってのウールルラ・ルーパは、突如現れた厄介者であり、栄光に陰を投げる邪魔者であり、立ちはだかる壁であった。
 その意識が変わっていることにルーパの民が気付いたのは、密猟者の存在によってであった。
 あらゆる星のあらゆる海で、あるいは星の海ででも、密猟者というのは悩み事の種で、それはルーパの海でも変わりが無かった。TACボート密猟者は大型輸送艦を使ってTACボートを引き揚げ、そのまま宇宙に逃げて行ってしまう。ルーパの民が近くに居る場合は簡単に逃がしはしなかったが、ルーパの海は広く、密猟者は数が多かった。
 そうして捕獲されたTACボートが正規のルートに乗るはずが無く、当然裏の使い方をされるものであり、そもそもの経緯が法的に端から端まで健全とは言い辛い存在でもあり、連邦警察としても頭の痛い問題であった。摘発された密猟者は投獄され、押収されたTACボートは海に返されるか、惑星ルーパの利益代表である長老会に還元された。
 その密漁者の一部がウールルラ・ルーパを狙っていると最初に聞いたのは、長老会に選出された者のうち、外交を担う壮年のルーパの民であった。彼はその情報をもたらした惑星外の者に、あんなものはさっさと持って行ってもらいたいものだと言い、最初のうちは自分自身のその言葉が本心である事を疑ってもみなかった。
 しかし彼は、何日かして己の心の潮目が変わっていることを悟った。ルーパの民でない者に捕獲されるウールルラ・ルーパを想像した時に彼が感じたのは、怒りと屈辱と悲しみだった。このルーパの海で育ったあのウールルラ・ルーパが、ルーパの民と同じ海に生きる、あの強く、速く、賢いウールルラ・ルーパが、どこの誰とも知れない密猟者に捕らわれて宇宙の彼方へと飛び去って行く。彼は、そのようなことは断じて許せないと思ったのだ。
 ルーパの民はその怒りと屈辱と悲しみに共鳴した。ルーパの海と同じくらい心の豊かなルーパの民だった。だからこそ、ウールルラ・ルーパを嫌い、憎み、傷ついていた。だからこそ、ウールルラ・ルーパを慕い、愛し、誇っていた。

 惑星ルーパは監視衛星によって警戒が強められた。密猟者と見做されたものは、一度の警告で武器を捨てなかった場合、それが実際に何者であっても攻撃された。
 連邦警察は、この件に関しては惑星ルーパの自治権の範疇であるという見解を示して直接的な干渉を行わず、たとえば、研修という名目で連邦警察の捜査官をルーパの民の元に送るに留めた。星間航行時代の争い事は、一足飛びに連邦軍の方まで話が行ってしまう場合が多いため、ルーパの民の密猟者狩りは、実戦経験が不足しがちな連邦警察にとっての、ちょっとしたチャンスでもあったのだ。
 そういった、ちょっとしたチャンスを得たのは商人たちも同じだった。惑星ルーパが生み出すのは何もTACボートだけではない。希少金属の含有量が飛び抜けて高い未開の惑星というのは、概して魅力的に見えるものだ。治安維持に力を貸して、代わりの物を買おうという企業はそれなりにあった。
 そうして、もはやルーパの海におけるTACボートの密猟は割の良い仕事だとは思われなくなり、惑星ルーパの周辺宙域は非常に治安が良くなった。
 ルーパの民はルーパの海以外に関心を持たなかったが、この出来事を契機に、ほんの少しだけルーパの海の範囲を広く見るようになったのだ。惑星ルーパの星系内には、先進星系には及ぶべくも無いが、監視網が敷かれ、不審船が寄り付くことがなくなった。小惑星の陰に隠れていた密猟者の前哨地はあぶりだされ、叩き潰された。
 工業衛星も一つ稼働した。ルーパの海で育った高品質なTACボートを、TACボートの事を最もよく知るルーパの民が加工し、輸出している。ルーパの船は、全宇宙で最も強く、早く、賢い。今違ったとしても、百年後には必ずそうなるだろう。
 惑星ルーパの陸と海に目をつけていた観光事業者は、警戒されつつも受け入れられ始めている。ルーパの民のウロコと同じ瑠璃色の、美しい海だ。

 ウールルラ・ルーパは、今もまだウールルラ・ルーパだ。
 今日もまた、ルーパの海を二分し、捕獲に意気込む狩人たちと飽くなき闘争を続けている。

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