パラサイト 、バーニング、ジョーカー、万引き家族、アスはたまた山本太郎?全てに繋がる映画 21世紀の資本 レビュー

まるで近代から現代にかけての世界史をスタイリッシュに紐退いていくかのような映画であった。
この映画の魅力をパートに分けて紹介していこうと思う。
タイトルの意味は終盤にわかると思う。
終盤は少々のネタバレと私情が溢れ出てしまったのでご考慮願いたい。

1, 映像、音楽、構成のお陰でわかりやすい!!

難解なテーマであるにも関わらず映像と音楽の用い方がポップでスマートで明快なので、誰でもすんなり入り込めると思う。

例えば貧困、戦争、搾取、反乱という悲惨な映像に極めて明るい現代のポップソングを乗せるような対位法を用いていたりするのだが、これが非常に皮肉が効いていて、なんだか上流階級の人間がタワマンから下界を見下ろしながらパーティを楽しんでる、みたいな現代的シニシズム(冷笑主義)を感じるように編集されていたりしてよく凝っている。
こういう対位法ってなんだかおしゃれって感じで海外ドラマなんかでもよく使われているんだけれども、本作の用い方はそういうインスタ的オシャレ感覚を完全に皮肉ってるようでまぁ使い方的に関心した。
スタイリッシュだけれどもそこには風刺なんかもちゃんと効いてる。
映像としてもちゃんとしてるし、資本や経済に関心がある人間以外にも見て欲しい。
というか、社会人として、あとは少しでも自分たちの社会がどのように構成されているのかということについて関心のある若者には見て欲しい。これは学校では教えてくれない、でもどこよりも分かりやすい世界史、現代史の正史なのだから。

ここからネタバレ

2, 資本主義の行き着く先の恐ろしさ!!

まぁ資本というものは我々庶民に初めて富をもたらしてくれた神様であり、それと同時に富を得たものから心を奪い、富のないものには永遠の飢えを与える悪魔であった訳だ。
時代はこの資本経済の楽園と煉獄の狭間を目まぐるしいサイクルで行ったり来たりしながら未だに振り回されて続けている。
更にピケてぃいわく、経済は悪くなる一方でこのままでは、徹底的な貴族と庶民の差があった18世紀や第ニ次世界大戦前にまで後戻りするという最悪の展開が我々の未来には用意されているらしい。
それは「フランス革命」の再来であり、「ナチス」の再来を意味する。
思えば貧困層の増加がナチスを生んだ起因であり、国としての衰弱は狂気的なナショナリズムを強固にすることは明白だ。
そして上流階級の徹底的な貧困層への無関心と搾取、貧困層の恨み辛みがフランス革命であった。

今はリベラルの時代と言われているが果たして本当にそうなのだろうか?
それは中流階級が人口の多くを占めていた時代の余裕ある経済や思想の名残なのではないだろうか?
リベラルは経済に余裕がある時代の潮流であり、余裕がなくなると人々は自分の座席の奪い合いに必死になる。そこで人種差別や他国批判は余裕のなくなった国民にとって格好のターゲットである。
宮台曰く、この座席不足が国粋主義につながる理論はリチャードローティーなる哲学者が昔言っていたことであるらしいが、実際に現代そうなってしまっているではないか。

アメリカでは国粋主義の暴君トランプが大統領になり移民を阻害、移民問題どころか黒人の怒りがブラックマターリブズのように飽和状態になって未だに差別主義が氾濫していることが露呈された。
イギリスはオーウェンジョーンズという作家によれば貧困層への差別が広がり、下流階級が完全に這い上がれないほどに絶望的に貧富の差がひらいているとのことで。
日本でも沢山の問題を抱えている。
若者の貧困率はかなり上がっているし、時間にも心にも余裕がない人間が大量に生まれてしまった。
ネトウヨなる似非右翼が跋扈し明治後期に先祖返りしそうな国粋主義を提唱したり、就職氷河期で日の目を見なかった世代の忘れられた者たちが精神を病んで大量殺人に走ったり、莫大な奨学金をして大学に行って破産する若者、風俗などで働いて返済する女子大生、鬱病の人間も自殺する人間も沢山抱えている。
一方で学歴主義が幅を利かせまくって、IT社長が一番偉くって、金持ちの自己啓発書が売れまくって、容姿端麗で清潔な人間がSNSで支持される。
誰も彼も自分の実力や才能だと思い込んでいる。
生まれ持っての運でしかないのに。

韓国も似たような状況であることは、今年「パラサイト 」で露呈された。「バーニング」でも絶望的な貧富の差について描かれていたし。
アメリカでも「ジョーカー」、「アス」などで貧富の差の広がりは描かれていたし、日本も「万引き家族」という代表作がある。映画は時代の写し鏡でもあるので、
同時多発的な貧困映画の出現はどこもかしこもこんな状況であることを証明しているに等しい。
かつて先進国と呼ばれた国々はそれぞれ内側のよそ者を排除して更によそ者を入れないように壁を作って鎖国しようとしている。
戦争が始まる第一歩のような気がしてならない。

3, ある衝撃の実験結果

上流階級の貧乏人への差別は世界共通であり、
心理学的にどんな人間でもお金を持つようになると無意識にお金のない人間を見下すようになってしまうことが
ある実験によって証明されてしまっていることがわかった。
被験者を二人用意して、最初にコイントスによってお金持ちと貧乏人が決められた状態で人生ゲームをスタートするという実験なのだが、金持ちサイドの人間は必ず貧乏人に上から目線になり、横柄で差別的な態度をとってしまうらしい。
そして自分がお金持ちなのは自分の才能や実力であり、一方が貧乏なのはそいつのせいだと思い込んでしまうらしい。実際はたまたまでしかないのに。
こうして下流階級への偏見と差別、無関心が生まれる。
それは人間の心理構造上そうなるよう設定されているのだ!!これは驚くべき事実であった。
そういえば、オーウェンジョーンズの著作「チャブ」にも、周りの金持ちがみなそのような思考をしていて、いやお前ら全員親の金でそこまで立派になったのになんでそんな偉そうなん?君たちはなんて想像力がないんだ、、、と呆然とするシーンがあった。
これはこの検証結果まんまである。
これと似たような経験は僕もしている。
僕は元上流階級出身で現貧困層のライクアローリングストーン一家で育ってきたのだが、大学では上流階級の友人が複数いたものだ。
彼らの思考もだいたいこんなもんである。
金の使い方も、他人への態度も、恋愛の仕方も。
どこかで人を見下しているし、それを当然のものと思っている。
僕も呆然とした。
勿論善良な人間が圧倒的に多く、リベラルで穏やかな人も多い。だが時々、同じ人間とは思えぬほどの肌の冷たさを感じる。
なんだか彼らまさに人生をゲームとしてしか捉えていないのではないだろうかと感じる。
「パラサイト 」でも「バーニング」でも「ジョーカー」でもそんな場面があった。
その度、ヒリヒリと胸が痛む思いがした。
僕はこの感覚を知っている、と思っていた。
検証結果が、その正体である。
僕が感じてきた違和感の、勿論全貌とはいえないが、明確な形がようやく見えてきた。
金持ちと貧困のハイブリッドである僕が知っているこの感覚を、どちらか一方の人たちは知らない可能性がある。僕が得た視野と想像力も、環境と運の産物である。
上記のような環境と、たまたま映画と本が好きだったという運でしかない。
世界は、人間は、環境と運の産物だ。
これもベストセラー「もっと言ってはいけない」に記載されていた論文で証明されているのだ。

僕がなんども言葉を変えて同じようなことを言っているのは、やはり様々な人たちがそれを手を変え品を変え証明し続けているからだ。

これは資本主義のシステムそのものが孕む怪物である。
だから誰を恨むでとなく、この様々な問題を孕む怪物と向き合う必要がある。

貧富の差はひらきつづていく一方だとピケティは膨大な資料に基づいて論証した。
それに対する対策案も、本作の最後に明確に提示してくれた。
そんでこれ、選挙前の山本太郎とかどっかの東大の経済学者もこんなこと言ってなかったっけ?
HP見てみると山本太郎の本作推薦VTRがあった。
いろいろと勉強してんのな、と思った。
しかし彼らの言ってることが正しいとはまだ判断できない。これから僕も学んでいかなければ。

世の中変えられないと思っていた。どうしようもないことばかりだと。悲観主義と諦念が僕の心を支配して離れなかった。ただ変えられる物事については、やはり変える努力をしていかなければならない、そう強く感じた。

「神よ、どうか私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えられる物事を変える勇気と、その二つを見分ける知恵を授けたまえ」(スローターハウス5)

そう祈るばかりだ。

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