2021/07/10; 新時代の誠実さ

私にとって、理想的な「個」の社会というものがある。多様性が受容され、価値観の相違で無益な対立が生まれない社会だ。そのために今求められるのは、誠実さではないかと、私は考える。

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近年、無理して人と関わらなくていいというような考え方が浸透しつつある。一昔前に比べて、ご近所や職場での付き合いは激減したし、人に道を聞くことなども無くなった。必要のないコミュニケーションが削ぎ落とされ、他人への関心が薄れたと言えるだろう。

他人への関心が薄れた代わりに重要性を増しているのが、価値観の許容や尊重といった、多様性を受け入れる考え方である。中でも性的マイノリティの認知や理解はここ数年で急速に進んでおり、社会は、著名人の発言などに対しこと敏感な反応を示す。このような反応こそ、今まさに多様性を受け入れるための過渡期にある証拠だ。

様々な価値観でこのような過渡期を終え、受け入れるために、必要なものは誠実さだ。どんな価値観に対しても同等の態度で、腫れ物扱いしない。理解できないものを排除せず、はじめからそこにあったようにそっとしておく。そんなイデオロギーを形成した先にあるのが、理想的な「個」の社会なのである。

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さて、私は是非とも「個」の社会が実現すればいいなぁ〜と思っているわけだが、そのために必要な誠実さとは一体何なのだろうか。私は最近、誠実さとは「どうでもいいと思うことを認める」ことなんじゃないかと思い始めた。

例えば、結婚について。私は今のところ、一生独身でもいいかな〜と考えており、ファッションなどに大した気を配っていない。この前、これを友人に話したところ、「自分が結婚できないという事実を直視するのが怖くて、興味ない振りしてるんじゃないの?つまり逃げてるんじゃないの?」と言われた。私はそうであるような気もしてきて、結局どっちが本当の自分か分からなくなってしまった。

この価値観のせめぎ合いを、結婚ではない別のことに置き換えてみよう。

私は音楽が好きで、ドラムやギターの練習をするのが週末の楽しみだ。一方、私に「結婚できない事実から逃げてんじゃない?」と心ない指摘をした友人は、特に音楽に興味はない。
この友人に対し、「何で音楽やんないの?音楽から逃げてんじゃないの?」と私が指摘したらどうだろうか。答えは自明である。「はぁ?何を言ってんの?」と返ってくるだろう。

この2つの事例、本質的には同じものではないだろうか。友人が「はぁ?」と言ったのと同じくらい、友人の「結婚から逃げてるんじゃない?」は訳の分からないことではないか。友人が音楽に興味ないのと同様に、今の私は結婚に興味ないのだから。

では、なぜ友人はこんな訳の分からない指摘をしたのだろうか。それは私の「結婚に対するどうでもよさ」を理解していなかったからに他ならない。また私が友人に「音楽から逃げてんじゃない?」と言わない理由は、友人が音楽をどうでもいいと思っていることを分かっているからである。

「相手はこれをどうでもいいと思っているな」と理解することは、価値観を押し付けてしまう可能性をグッと下げる。これが誠実になるということなのだろう。多様性の受容においては、相手が何を大切にしているかを知ることが重要だ。多様性を受容した上で、さらに価値観に対し誠実になるためには、相手が何をどうでもよしとしているかを知ることも忘れてはいけない。

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