2020/07/19; 人生

だんだんと更新頻度が落ちてきている。これは良くない。気合を入れ直さないと。何がいけないのか考える。Todoリスト、これが良くないのではないか。

以前todoリストを始めましたという記事を書いて以来、フル活用してやろうと息巻いて大量のタスクを作成したのだった。noteの更新もその1つである。
疲れた時でも、スマホを見れば毎日10個ぐらいのタスクが嫌でも目に入る。早くタスクを消化しろと責め立ててくる。数週間もすれば気持ちが滅入ってきた。

やりたいと思っていることでも、やれと言われてやるのは、やはり大変だ。基本的に仕事で疲れているのだから、負担になるようなタスクを消化できるわけがないだろう。

そう思って、タスクをめちゃめちゃ減らした。家計簿をつけるのは毎週1回、勉強も何でもかんでもやろうとしない。読書は息抜きだから気が向いた時だけ。noteの更新とか筋トレとか、ルーティーンはタスクに入れない。

今、noteの更新頻度は減ってしまっているが、前より気楽にかけている気がする。何も書くようなことがない日は、書かなくても構わない。けどできるだけ書くようにしたい。そういう気持ちで十分な気がする。

そんな折、たまたま旧友と連絡をとると、こんな言葉を言われた。「頑張ったら続かないから程々にな」
やっぱそうだよなぁ。分かってるようで分かってなかった。
分かったようなことでも、人から言われると改めてその言葉の意味を考え直すきっかけになる。また1つ賢くなった。

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Noteを見ていると、文章の上手い人が沢山いる。なぜあんな文章が書けるのだろうか。何というか、すっと入ってくるとか、感情移入できるとか、そういう感じの文章。一方の俺はというと、いつまでも説明書みたいな文章を書き続けている。

昔から自分の嫌なところがある。自分より優れた人を見ると「対して俺は...」と卑屈になってしまうところである。
上の文章だって、優れた人から「コイツこんな簡単なことも今まで分かってなかったの?」と言われるだろうと思いながら書いた。自分が程度の低い人間だと思っているから、自分のやることの程度も低いと思ってしまうのである。全く厄介な性格だ。

この気持ちの折り合いの付け方が、24年間生きてきて全くわからない。蓋をして忘れることしかできない。優れた人を見るたび、その蓋がひとりでに開いては、中から卑屈な自分が出てくる。みんなこんな気持ちを抱えながら生きているのだろうか。だとしたら社会問題だろう。

そんな気持ちを忘れられるほど、熱中できる何かを見つけたらいい?それはその何かを見つけられたヤツが言う模範解答だ。俺の24年間の人生で、そんなものは1つも見つかってない。

今日もこの気持ちに「俺は人生1回目だから、人より劣ってて仕方ない」と蓋をすることになるだろう。なぁ誰か、自信の付け方を教えてくれ。

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