2021/09/23; 『真夏の死』を読みました

三島由紀夫著『真夏の死』を読み終えた。正直、これほどエネルギーを要する読書経験は初めてだった。読み終えた今、達成感・満足感とともに、自分の中の安寧をぶち壊された衝撃を感じている。誤解のないように言っておくが、読んでよかったことは確かだ。

『真夏の死』は著者自選の11篇を収めた短篇種である。かつて『金閣寺』を挫折した僕に、三島由紀夫入門として友人がお勧めしてくれた。確かに短篇である分読みやすく、三島由紀夫の魅力を十分に知ることができたと思う。

何より僕が驚き、魅力的だと感じたことは、三島由紀夫の文章に対する誠実さだ。主人公が感じたこと全てを包み隠さず言葉にしようという気概を、全篇通してひしひしと感じた。結果として難解な表現になっており、読者に少なからずストレスを与えるのだが、それは仕方のないことだ。著者の熱意の現れを、読むのが大変などという理由で斬り捨ててしまってはあまりにひどい。

その意固地とも思える誠実さに、僕は「文章を書くとはこういうことだ!」と突きつけられた気がした。そして読めば読むほど、「文章を書け」「書かないことは甘えだ」と言われているような気がしてならなかった。いつか太宰治の『斜陽』を手に取った時、「読め」と命じられたかのように読み耽ったことを思い出した。三島由紀夫と太宰治。現代文学の代表者2人が読者に働きかける力は凄まじく、また対照的である。

『真夏の死』に収録された11篇は、年代順に並んでいる。僕は三島文学のど素人だが、この11篇で、なんとなく三島由紀夫の思想の輪郭や変遷を辿ることができたように思う。全篇に通底する、望めども叶わない儚さや理解の及ばない感情などの中に、様々な美が浮かんでくる。言葉でできた泡に乗って、細かいものがふつふつと、あるいは思いの外大きなものざばーんと、まさに「浮かんでくる」のだ。こんな言葉で説明すると途端に安っぽくなってしまって悔しいが、そう感じたのだから仕方がない。

僕が1番気に入ったのは「貴顕」という篇だ。これは、治英という人間の内面について、客観的かつ精緻に、第三者から語ったものである。死を前にしてこれまで培ってきた哲学が崩れ、初めて自分を発見しようとするというストーリーと、哀愁漂う結末が面白い。

三島文学、次は『金閣寺』にリベンジしてみようと思う。今なら魅力が分かる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?