2021/02/27; 労いって何なんだ

姉が結婚するとのことで、相手方との顔合わせのため実家に帰ってきた。昨日の残業が済んだ後、急いで終電の新幹線に乗って、実家にたどり着く前に疲れ果てた。ヘトヘトの頭の中、母親の「大変だったね」という労いの言葉を無性に聞きたくなった。恥ずかしながら。

俺がこんな気持ちを抱いたのはなぜなのか。昨日からずっともやもやしている。俺が労ってほしいのはどんな人が相手でどんな時なのか、これは考える必要があるなと思った。

俺は普段、労いの言葉だったり共感だったりを他人に求めず、疲れた時は1人でいたいタイプの人間である (と自分では思っている)。だから、母親に労ってほしいと思った自分に、自分で驚いた。もしかしたら友人には求めないけど、家族には求める、というような一線があるのかも知れない。

これを家族の絆、などと言えば収まりがいいのだろうが、俺はその類のものを心から肯定できるほど純粋ではない。絆は時に枷となり、利己的な行動や人間不信を引き起こすからだ。俺たちは絆で繋がっている、みたいなセリフ、なかなか言えるものじゃない。

現時点で、俺がなぜ労ってほしいと思ったのかは分からない。相手は誰でもよかったのか?話すより寝た方が心地よかったんじゃないか?色んな疑問はあるけど、今後もゆっくり考えていくことにしたい。


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