2020/06/26; 文学の時代
メモ帳を見返していると、「文学の時代」というメモがあった。こんなメモあったかなという感じ。改めて読んでみても、何故このメモを書いたのか全く思い出せない。普段は、内容を見ればメモした時の状況とか思い出すのだが。
とりあえず執筆当時の気持ちを尊重して、そのメモのままこの場に記すことにする。メモだから体裁が雑であるのは許してほしい。
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これから文学の時代が来る。
科学が発展しすぎると、どうしても解明できないことと、倫理の観点から解明してはいけないことが出てくる。それに答えを与えるのが文学である。文学は科学が証明できないことに答えを与える。
科学で証明されてしまうと、答えは一意である。誰が何と言おうと、ただ1つの答えだけが絶対的に正しい。
真実を追い求めるロマンはあるが、その答え自体は何とつまらないものか。
文学や芸術では、読み手の数だけ答えが生まれる。作者の思いと読者の経験が混ざりあい、答えは無限大になる。
科学で飽和した時代。曖昧を許さず、画一化された世界は、人間にとって窮屈でしかたがない。そして科学の世界は有限である。
無限の広がりを持つ文学こそが、科学に「汚染」されない唯一の世界で、これからの私たちが求めていくものなのである。
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へぇ〜こんなこといつ考えてたんだろ。めちゃめちゃ曖昧な記憶だけど、何かの歌詞を読んで、色んな解釈の仕方がありそうだと思ってこんなことを書いたような気もする。
確かにこれからの時代、答えは1つとか正しさとか、どんどん意味のないものになっていくのかもね。科学的な思考と文学的な思考、使い分けられるようになれたらいいな。
俺はことあるごとにメモをする、メモ依存症の人間なんだけども、こういう不思議な発見が時々あるんだよな。昔書いたメモにハッとさせられたり、今の自分に折り合いがつけられたり。自分の言葉だから何よりも信頼できるし、スッと入ってくる。
みんなも思ったことをメモしてみてね!
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