2020/06/23; 望みを失うこと

「人は生来絶望したがっている、あるいは死にたがっている」という話を聞いたことがある。誰が言ってたかは忘れたが、時々僕たちの頭をもたげる「いっそ死にたい」とかいう気持ちを思い出せば、おいそれと否定はできない。
いつか良くなると信じて頑張り続けることはものすごいエネルギーがいることで、それをやめることで得られる安心もある。

どうしようもなく絶望的な状況で訪れる諦観は、思考を止めて苦悩から解放する本能なのかもしれない。だとすると、絶望が一種の「憧れ」に変わっていっても不思議ではない。

実際、僕は絶望を題材にした作品に強く惹かれる節がある。立ちはだかる強大すぎる敵や、荒廃した地球に迫りくる隕石など...。そんな誰もが希望を失う状況を、何故か僕は「いい」と思ってしまうのである。そう思うのはきっと僕だけではないだろう。

これは、僕たち現代人が本当の絶望を知らないからではないだろうか?
現代において、本当の意味で絶望することなどはまずない。時間が経てば希望は出てくるし、みんな何とかなると思っている。絶望に対する憧れは、ディズニーリゾートに求める非日常と同じだ。僕たちの心の根底に居座る「何とかなるさ」という希望が、絶望を娯楽に変えている。

人間の好奇心とは恐ろしいものである。絶望や死すらも娯楽になり得る。いつかねじ曲がった憧れによって、凶悪な犯罪が引き起こされることのないよう願っている。

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チャットモンチーの楽曲「世界が終わる夜に」を聞いて、何故この曲が好きなんだろうと考えて、以上のような思考に至った。皆さんもぜひ聞いてみてほしい。

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