2020/07/15; 星の最後に想いを馳せる
最近、宇宙に関する本を読んでいる。専門書ではなく、一般向けのやさしい本である。
先程こんな言葉を読んだ。
「一見何もないような星と星の間の空間には様々なものが存在している。そして面白いのが、これらはそれぞれが無視できない存在として銀河の進化に一役買っているということであろう。」
ここでいう「様々なもの」とは、水素原子などとして存在する星間ガス、その中を漂う星間塵、粒子一つでものすごいエネルギーを持つ宇宙線などである。大昔から、これらが関わり合うことによって星が生まれ、また消えてきたのである。
このような宇宙規模での相互作用に思いを馳せると、人間の小ささを実感する。人間なんて、数ある星の中の1つにたまたま住み着いた生物にすぎない。宇宙の摂理に比べたら、私1人なんてバクテリアみたいなものだろう。いや、バクテリアにも満たない、未来永劫無視できる存在なんだろう。
だから、人間は宇宙の摂理に従わなければならない。というか従わざるを得ないのだ。そう宿命づけられていると言ってもいい。
例えば、地球という星が滅亡するとする。その時、地球にいる人間は何を思うだろうか。恐らく、「滅ばないでくれ」などと思うのではないか。地球は人間のものだと言わんばかりに。何と往生際の悪い、傲慢な思考か。
では、こう考えてはどうだろうか。宇宙からしたら塵みたいな一人間が、星の最期を見届けられるなんて、すごいラッキーなんじゃないかと。
そう思えば、人間の知識はこの時のために蓄えられてきたのだと納得できるかもしれない。星の滅亡という神秘を目にし、感じる。これこそ、知識を得た人間にのみ許された特権ではないだろうか。
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