2020/04/16; 美しい心
こんばんは。今日、友人と「あぁようやく帰れる...と思って外に出たらめちゃめちゃな雨でした。その時どう思う?」という話をしました。
私だったら「何で雨なんだよ!」とやり場のない怒りを感じてしまいます。苛立ちながらも濡れて帰り、時が怒りを抑えてくれるのを待ちます。「君はどう?」と友人に聞くと、全く怒りは湧かないと、彼は言い放ちました。
私はその言葉が信じ難く、「嘘ついたわ」を引き出したくて、あれこれ質問しました。「イライラはするでしょ?」とか「恋人の誕生日だったら?」とか。しかし彼はひらりひらりと質問をかわし、最後に衝撃的な意見を発しました。
「これで農家が助かると思えば楽になるよ」
確かに。妙に納得しました。
何事にも悪い面といい面があるよな。たまたま雨が自分にとって都合悪かっただけで、雨降ってありがたいと思ってる人もいるわけだよな。ちょっと見方を変えれば、物事のいい面が見えて気持ちも和らぐんだ...。寛大かつ多面的な友人の心に感動しました。
しかし、この話は未だ根深い問題を孕んでいると思わざるを得ません。その問題とは、「世界にはもっと辛い人もいるんだから問題」です。
「世界にはもっと辛い人がいるんだから我慢しろ」というのはよく聞く話ですが、私はこれに1度も納得したことがありません。だって辛いのは自分自身であって、その辛さを他人と比べたところで、辛さが和らぐわけでも解決するわけでもないからです。「他人がどうとか知ったことか!事実として私は今辛いんだよ!」と言いたくなります。
先の雨の話も、これと似た香りがします。
確かに、農家の人が雨降って喜ぶ姿を想像すれば、苛立ちは収まり、仕方ないなと思えるでしょう。けどだからといって、私のこの苛立ちがなかったことにされるのは奇妙な話ではないでしょうか?
他人は他人、私は私です。他人の感情が私の感情に影響することはあっても、それらを比較して優劣をつけるのはナンセンスだと思います。
そんなことを考えましたが、友人の寛大な心は非常に美しく見えました。自分にはないものだったので見習っていきたいです。Iさん、気づかせてくれてありがとう。
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