2020/12/08; ブザーの音

歩いていると、奇妙な音がけたたましく響いた。音のする方へ目を向けると、バイクか何かの前でうろうろしている人が見える。どうやらあの人は、バイクの防犯ブザーを鳴らしてしまったようだ。なんだ、防犯ブザーの音か。正体が分かれば、奇妙な音は雑音に変わる。僕は人影から目を逸らし、いつもと変わらないペースで駅へ向かった。

本当にあのまま通り過ぎてよかったのだろうか...?電車を待つ間、そんな考えが頭をよぎった。ブザーの音は数十人の人が聞いただろうが、誰もが僕と同じように、気にも止めずに通り過ぎただろう。もしあの人影が盗難を目的としてバイクに触れたのだとしたら...。あのブザーは役割を全うしたにも関わらず、盗難を防ぐことはできなかっただろう。周囲の人間がブザーを雑音と認識したために、である。

かと言って、あの人影が泥棒だったとして、僕がバイクの盗難を防いでやる義理もない。何より怖いと思ったのは、異変を異変と思わない、僕を含めた周囲の人間である。

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僕は電車に乗っている時に、無防備に眠っている人を見ると怖くなる。ある泥棒が電車に乗ってきて、眠っている人の荷物を何食わぬ顔で漁り出したら、止める人は現れるだろうか。僕は現れないと思う。他人を見て見ぬ振りする現代においては、周囲に他人が何人いても、それはいないと同じことなのである。泥棒は次の駅で電車から降り、完全犯罪を達成するだろう。

こんな簡単に完全犯罪できてしまうのに、なぜ誰もやろうとしないのか。きっと、止める人がいるかもしれないからとか、変な人だと思われるからとか、そんな曖昧な理由だろう。結局この社会は、常識とか世間体のような、何かの拍子ですぐに崩れてしまう危ういもので成り立っている。まるでトランプで建てたタワーである。今日、ブザーの音を聞いて聞かぬふりをした僕は、ふらつくタワーの上にまた1枚カードを置いたのだ。

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