2020/05/20; この気持ちは何だろう

俺のnoteを見てくれている人はどのくらいいるのだろうか...。いや別に自己満足でやってるだけなので、見てくれなくても一向に構わないんだけども。まぁちょっと気になるよね。

全然みんなが見てくれなくてもいいと思っているのだけど、最近あることに気がついた。今俺がnoteを毎日続けるモチベーションの1つに、「誰かが見てくれてる」という気持ちがあることだ。
誰でも見えるようにネットで書いているから当然といえば当然なんだけど、「誰にも見られてなくていい」という気持ちと矛盾する、「見てくれている誰かのために書こう」みたいな気持ちが芽生えているんだよな。

そんなことを思いながら、さっき、このnoteのあり方を今一度考えてみた。5分ぐらいだけだけど。その結論が以下である。

いつかどこかで友人が、ふと思い出してこのnoteにやってきた時、「コイツまだやってんの?!」とか「コイツは変わらんなぁ」と驚いてもらうために、続けたい。

いつかどこかで友人が、社会に翻弄されて人間不信になって、本当にたまたま思い出してこのnoteにやってきた時、「こんなやつもいたなぁ」とちょっとでも懐かしんでもらうために、続けたい。

いつか自分が、もう色々訳わからなくなった時、「俺ってこんな過去を積み重ねてきたんだな」と確認するために、続けたい。

何となしに書いている文章だけど、いつか誰かーー友人かもしれないし、自分かもしれないし、あるいは見知らぬ誰かかもーーが見た時に、ほんのりとした安心を感じてもらいたい。そんな思いでこれからもやっていこうと思います。思えば、Twitterも同じような気持ちで続けてるのかもしれません。

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