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今年も残り僅か…!

1.冬に向けて

ここ最近一気に寒くなりましたけど、心配なのは自分の体調。特にトゥレットの症状が悪化するかどうかが不安ですね。

今は仕事に行っていないので、他人に迷惑をかけない点では安心してもいいかもしれませんが、いつまでもこの状況を続けるわけにはいかない。
かといって、トゥレットが完治することは、おそらくこの先ないでしょうね。

私は死ぬまでこの病と付き合っていかなければいけない。

しかし、この病に対しての世間の理解は、まだ浸透しきっていないと私は感じています。
前の職場でもそれは何度も痛感しました。

もちろん、障害や難病を抱える人、いわゆるマイノリティの人たちに対する理解は、世間の人たちに求めるべきだと思います。ですが、理解するには知識をつけなければいけません。
知識がなければ理解にはつながらないと思います。

それでも、健常者とされる人たちが、普段の生活の中で障害者やお年寄り、LGBTQの方たちを含めたマイノリティの人たちと関わる機会は、非常に少ないと思います。

障害者雇用で一般企業は障害のある方を何人か雇わなければいけないという決まりがあると思いますが、それでも障害者だとカウントされない隠れた障害者という人たちも世の中にはたくさんいると思います。

そういった人たちが、社会に対して生きづらさを感じているとしたら、それはその人本人の障害や病に問題があるのではありません。
マイノリティの人たちが生きづらさを感じる周りの環境そのものに問題があるんです。

私自身もトゥレット症候群に関して理解が及んでいない今の世の中に対して生きづらさを感じたことは何度もあります。
電車に乗っている時や、床屋で散髪してもらっている時、映画館に行った時、学校で授業を受けている時など、周りから笑われたり、白い目で見られたり、こそこそ影口を言われたりしたことなんて、今までにしょっちゅうあります。
そりゃそうですよね、周りから見たら自分の障害なんて普通には見えないんですから。どう見たって自分は異常ですよ。
これくらいのことは正直もう慣れました。

ですが、「普通」って一体どういう意味なんですか?
「普通」の概念は人それぞれです。手足が不自由って状態が普通の人もいれば、歩くことが困難な状態が普通の人もいます。耳が聞こえないのが普通の人もいれば、上手く喋ることができないのが普通の人もいます。

私にとってはこのトゥレットを抱えている状態が普通なんです。
障害に限った話ではありません。LGBTQやアセクシャルやアルビノや性分化疾患の方など、人によって「普通」や「常識」の概念は違います。
他人が押し付けるものではありません。

皆がお互いの個性を認め合って、世の中から「障害」って言葉がなくなればいいなって、私は思いました。

2.孤立

最近自分が社会から孤立している感をすごく感じるんですよね。家にいても家族とほとんど話さないし、テレビも最近全く見ない。
時々買いたいものがあって外出はするけど、大抵家にこもって、本を読んだり調べごとをしたりして過ごしています。

私は昔から、親とは特別仲が良いとはとても言えない環境で暮らしてきたので、今も親との仲は毎日ギクシャクしています。
そのうち実家を出て一人暮らしをしようと思っていますが、いつになることやら…。

その一方で、中学時代に自分を助けてくれ、支えてくれた仲間や友人たちにはとても恩を感じていますし、信頼もしています。
大学時代は何度か会っては、一緒に剣道の稽古をしたり連絡を取り合ったりしていましたが、大学を卒業してからは全く音沙汰なしです。

お互い仕事が忙しいってのと、コロナが流行っているってのもあり、なかなか会えない状況が続いてます。
それに、彼らには彼らなりの人生があるわけで、私のことなんかもう忘れているかもしれません。まぁそれでも構わないんですが。

大切なのは相手からどう思われるかではなく、相手をどう思うかです。

今は仕事を退職したことで空いた時間を、色々勉強することに充てています。
高校の頃から海外情勢や歴史や介護関係に関することについて、自分で調べて頭に叩き込むことが趣味になってたんで、今は家にこもってる時はほぼ一日そういったことに取り組んでます。

本を読み込んで、ネットで調べて、ノート、またはwordにまとめて、それをまた読み込んでの繰り返しです。

あとは自作漫画の制作に打ち込んだり、SNSやブログを書いたり、今はそんな日々を送ってます。

ですが、どことなく満足感や充実感はないですね。ただ疲れが溜まる一方。

今の私の目標は仕事に復帰して、実家を出ること。
これにつきますね。

今日はこの辺にしときます。
読んでいただきありがとうございました。
失礼します。


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