ゴシップがうるさい
ここ最近、ゴシップニュースが本格的に面倒くさくなってきた。
ネットに触れるようになってから、習慣的に見てきたYahoo! ニュースだが、ここのところ、見ても嫌だなと感じることが多い。
それに気付いたのは、『菅田将暉&小松菜奈「超高級マンション」で結婚へカウントダウン!』という見出しを目にしたときだ。わたしは、菅田さんに対しても、小松さんに対しても、好感を持っている。しかし、取り立てて彼らに対して興味があるわけではない。他人の色恋を妬んでいるというよりは、興味がないから鬱陶しい、その情報うるさいよ、という感じである。放っておいてあげればいいのに有名人は大変だ。
で、わたしのこの兆候が果たしていいことなのか悪いことなのか、判断しかねている。
「わたし、芸能人のゴシップとか興味がないんだよねー」というのは、かっこよさげだが、換言すると、世間や他者に対する興味が薄れている、ということを意味する。醜聞に興味があり、下世話であること、それは生命力の一種だ。
新潮新書の『スマホ脳』でハンセンは、人間の脳は悪い噂が大好きだと述べている。
彼によれば、世間や社会、村で生きる以上、人間は人間関係に関する情報をより多く持ち、情報戦で負けない必要があった。人より持っているカードが多いことは、ゲームを有利に進めるための条件だ。あるときは、情報提供者になり、あるときは誰かから情報をもらって、騙し、騙されてきたのが人間の歴史なのだ。
芸能リポーターの井上公造や梨元勝に限らず、すべての人類は、生きていくために、ゴシップ好きであったほうが有利なのだ。
ワイドショーも週刊誌も、人の狡猾な部分やどうしようもないところを炙り出す装置で「みんな大変だなあ」と思いながら、にやにや楽しんでいた。不倫をするなんて、とんでもない、とか怒ったりはしない。不倫するなんて元気な人だな、体力あるな、と思うだけだったが、それを知ること自体は楽しかった。
今現在、そういった情報が、「知っても知らなくてもどちらでもいいことだけど、知っていてもいいか。ちょっと楽しいし」というランクから、「知らないほうがいいこと」に格下げされたのである。
わたしの脳みそがそう言っている。うるせえな、そんなページをクリックするな、と言う。
もしかしたら、失業することが決まって、自分の人生がドラマチックになっているため、芸能人のドラマを追う気力がなくなっているのかもしれない。
退屈な日常においてこそ、芸能人のスキャンダルは輝き色めくのかもしれない。
そう考えると、向こう三年ぐらいわたしは、ゴシップに縁遠くなるのかもしれない。ストレスフルだわ。(トホホな非日常に突入である)