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【モラハラ彼氏と別れて人生変わった話。】 2話「中学生時代の違和感」


思えば、K田ははじめから、違和感ある人物だった。


私が中2の頃から、夏休み、冬休みになると、大学の部活も休みが増えるのか、K田は時々道場の練習に顔を出すようになった。

元々K田の方が1年先輩なんだけれど、私の入門とK田の大学入学による道場休眠が入れ違いだったことで、この頃に初めて会った。

が、はじめから偉そうな態度で接してくるし「自分はこの道場に慣れてますよ感」を出して(つまり先輩風吹かしてる)くるK田。

まぁ向こうが先輩なので当たり前なんだけれど、それを抜きにしても、K田はどこか威圧感というか、人に対して偉そうな雰囲気があった。


このK田の違和感を、何となく雰囲気で、とかではなく、初めてハッキリと感じたのは私が中2のときの2月。

毎年バレンタインになると、女の子たちは先生や先輩に、手作りチョコを作って渡すのが習慣だった。

中学生になってある程度のお菓子を作れるようになった私はブラウニーという、あまり手をかけず大量生産できるかつ何かちょっと小洒落たものを作りたい女子には有難いレシピを覚えていたので、その年もブラウニーを作った。

ちまちま切ったブラウニーを袋詰めしながら、先生や先輩たち、渡しあいっこする女の子の人数を確認していく。

毎年この時にしなくてはいけないのは、「普段はあまり練習に来ないけど、チョコを渡す日にたまたま来てしまい、でも女子たちは当然数に入れてないからチョコをもらえなくて、結果として隅っこで気まずそうにしなくてはならない男性」を一応数に入れてあげとくこと。

K田はまさにそれだった。


大人になった今も、「普段の練習参加率が低いのだから数には入れてあげられなくても仕方ない」と、来るか来ないか分からない人の分は考えなくても良いのか、「しかしそこは念のため、集団にお土産を配るときちょっと多めに買っておく方が無難なように、一応数に入れておく」と備えるべきなのか、どちらが正解なのかは分からない。

が、私は後者のタイプだったので、K田をはじめとした練習参加率が低い男性の4、5人分くらいは多めに用意しておくのが毎年のことだった。


バレンタインの練習に、K田は来た。

他の女の子たちは、先ほどの考えでいうところの前者タイプで(当時みんな小中学生だったのでそう考えて当たり前だけど)、K田に手作りチョコを渡したのは私一人だった。


「K田さん、これ」

「お?何だ」

練習後、チョコをどう作っただの可愛くできただの、渡した先生たちに喋りながらはしゃぐ女の子の団体に背を向けて、唯一チョコを貰えなかったK田は、誰の目にも明らかな「別に気にしてませんよ」的な感じで一人黙々とストレッチをしていた。

わざとらしいくらいゆっくり立ち上がって、何の用だろうとすっとぼけた表情を作っているのが、丸分かりだった。

「良かったら、どうぞ」

「おっ」

かすかにニヤケながら受け取ったK田の口から飛び出た言葉は

「なんやこれ」

だった。


「ブラウニーです」

「ブラウニー?」

受け取ったブラウニーを、初めて見たと言わんばかりにひっくり返したり、電気に透かしてみたりする。

ブラウニーは知らなくても、これがバレンタインチョコだってことは分かるだろ。


「焼きチョコケーキ、みたいなもんですかね」

ラッピングされたブラウニーを「へーえ」と、色んな角度からひとしきり観察したK田は、ようやく「ありがとな」と言った。

そして、まだキャアキャア盛り上がっている女子軍団(と、それに囲まれている男性陣)を残して、何事もなかったかのようにしれっと帰っていった。


やっぱりストレッチは、自分一人チョコを貰えなかったことへのカモフラージュ行為だったのか。



次の練習のとき、チョコを渡した男性陣はみんな女の子たちに、「おいしかったよ」「ごちそうさま」と言ってくれた。


K田はブラウニーを渡した日から1ヶ月間、練習に来なかった。



次に会ったのは3月の中旬。つまり、今度はホワイトデーの練習日だ。

この日、チョコを貰った先生や先輩たちは、みんなお返しを持ってきてくれていた。

みんな当時の私たちよりはるかに大人だったので、あんなひと口ふた口で終わるような子どもが作ったチョコ(いま思えば)にも、お返しはきちんとしたものを買ってきてくれる。


確実に渡したチョコ以上のお返しを貰ってしまった私たちは、それぞれを鞄に詰めるなり両手に抱えるなりして、帰り支度をする。

と、道場の玄関が開いて

「こんばんは」


K田が来た。


「うわっ、K田来たし」


嫌がりながらもおもしろがるような口調で、私より2つ年下のコハルが言った。

「うち、あいつマジで嫌いなんだよね」

女子の中でも気が強く、ちょっと今風だったコハルの発言に、他の女の子たちも小声でウンウンと同意する。

「ヒロちゃん、無理じゃない?K田」

コハルに同意を求められる。

「うん、正直ちょっと無理」

「だよねー。コハル、ローテーションの稽古であいつと組みそうになるときさ、嫌すぎて避けたことあるもん」

女の子たちのクスクス笑いがおこる。


無理というのは本音だった。

毛嫌いするわけではないが、どこか偉そうで威圧的なK田のことが、正直苦手だった。

このとき初めて知ったのは、私が思っていたよりも、女の子たちはK田のことが嫌いだったということ。苦手なのではなく、嫌い、だった。


「あいつ偉そうだし」

「先輩なのは知ってるけど、うちらからしたらほぼ初めましてなのに、先輩ヅラすごくない?」

「それ!うちらはお前のこととか知らんし!」

「部活でもやってるのか知らんけど、オレ上手いですよ〜感出してきてさ!カッコよくないっての(笑)」

「なんか生理的に無理だよね、キモい」


コハルの発言を皮切りに、みんなが小声で、しかしえげつない勢いでK田の悪口を言い始める。

「あっ、お母さん来てる。じゃあねー」


K田の悪口を言うだけ言った女の子たちは、道場の庭に自分のお迎えの車があるか確認し、あっという間に帰っていった。

私のお迎えの車は、なかった。

父も母も忙しかったので、私のうちだけお迎えが少し遅いことは、よくあった。


窓際で親の車を待つ私に、学生や社会人の先輩たちも声をかけて次々帰っていく。


だがあとから来たK田は自主練がしたいのか、残っている。

道場長先生は、道場と併設されている自分の家に何かを取りに行ったのか、出て行ってしまった。


てことで、K田と2人きり。

あれだけの悪口を聞いてしまったあとで、気まずくないはずがない。本人に聞こえてたかどうかは分からないけれど。

だがそれとは別に、私は冷静にあることを考えていた。


この人は、バレンタインのお返しは持ってきてないのか?


他にブラウニーを渡した男性陣は、みんなお返しをくれた。

2人きりになってしばらく経つが、K田は無言のままトレーニングマシンを使っている。ちなみにこの日、まだ一度も話していない。

平日の夜だし、忙しくてお返しを用意するのを忘れている可能性もある。だが一言、おいしかったよとかごちそうさまとか、何か言うのが礼儀じゃないのか?

中学生ながらにそう思ったことは、今でもハッキリ覚えている。


もしくは、さっきの悪口を聞かれていて、渡す気が失せたとか?

トレーニングマシンの横に置かれている、K田の黄土色のトートバッグにこっそり目をやるが、明らかにタオルとペットボトルしか入っておらず、平たいままクタッと床に寝そべっていた。

あの様子では、お返しはそもそも用意していない。


「なあ」

あさましい分析をしていた私に、ガチャンとバーベルを置いたK田が話しかけてくる。


「土曜日、空いてるか?」


急な問いかけに、うまく言葉が出てこない。


「土曜日、は、部活ですが」

「いや日中じゃなくて、夜」


夜。なんかあったっけ。

「今週の土曜日、自主練日だろ。オレ来るんだけど、他に誰か来ないかと思って」

ああ。

「それなら行く予定でしたよ」


うちの道場は第2、第4土曜日が自主練日で、参加したい人だけが自由に来れる日だった。


「ふぅん、なら一緒に練習するか」

「はい」



皆さんに問いたいです。

この流れは、「今日はお返しを用意していないから、土曜日にヒロが来るか確認し、その日にお返しを渡すつもり」の問いかけに、聞こえませんか?

少なくとも、当時14歳だった私には、そう聞こえたんです。


結局その日、最後までブラウニーのお礼を言われなかったことに対する違和感は、「K田さんはたぶん、土曜日にお返しを渡すつもりなんだ」という考えによって、頭の隅に追いやられた。



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