ありがとう関ジャニ∞

2024.02.04
ついに来て欲しくない日が来てしまった。
この機会に私と関ジャニ∞の20年を振り返りたいと思う。


2004年
当時小学5年生の私は、雑誌をきっかけに関ジャニ∞を知り、丸山隆平くんを好きになる。
そこからは毎日が楽しかった。
大倉くんと錦戸くんが好きな友達がいて、エイトの話をするのが楽しみで学校へ行っていた。

2005年7月16日
楽しかったオタク生活の中で、
最初の大きな悲しみは内くんの脱退だった。
当日、検定の試験があり、試験から帰った私に母が、『検定前でショックを受けると思ったから行く前に会えなかったけど実は、、』と内くんの事件の件を教えてくれた。
検定に集中していてテレビや新聞を全く見ていなかった私には衝撃でしかなかった。
行く前に見ていたら検定なんて手につかなかった程のショックだった。信じたくなかった。

そこからの毎日は泣いてばかりだった。
当時、「Dear 内博貴」という内くんに向けたメッセージを書くサイトを見ては泣き、内くんの復帰を願って、8→1 という言葉にどれだけ縋ったか分からない。
Johnnys webでの大倉くんの最後に書かれる8→1 という言葉が支えだった。
亮ちゃんの縦読みメッセージには号泣した。

そして
2007年8月5日 「東京ドームの奇跡」
47都道府県ツアー、東京ドーム公演 ダブルアンコール
亮ちゃんがステージを降り、見学席から内くんをステージに引っ張り上げ、横山くんが内くんの名前を叫び、自分の着ていたツアーTシャツを脱いで内くんに着せた亮ちゃん、そして5万5千人と8人での
「最高で最強の関ジャニ∞」
私はその場にはいなかったけれど、その速報を知った時、死ぬほど泣いた。どれだけその瞬間を待ち望んだか分からない。
そして後日更新されたJohnnys webの連載でのメンバーの文面にも号泣した。

また8人の姿が見れる。そう願ってやまなかった。
でも現実は甘くなかった。
大倉くんのブログから8→1 が消え、内くんからも明確にエイトには戻らないということが分かる発言があった時にはショックで仕方がなかった。
8人のエイトに縋って、祈り続けた日々にピリオドを打つには長すぎた。

だけどそんな悲しい日々もエイトは笑顔にしてくれた。
テレビや雑誌などで見るエイトにも勿論元気付けられたが、やはり彼らのライブは違った。
友人の付き添いで他のグループのライブにも何度か行ったことがあるが、他グループのライブに行く度に関ジャニ∞のライブの良さを実感した。
地方組だった為、遠征が何よりも楽しみだった。
関ジャニ∞のライブは心の底からの元気と笑顔をくれる。

短大では上京した為、更にライブやイベントに行きやすくなった。入学当初からeighter全開で行ったら周りに沢山のeighterがいた。
そこからは毎日がエイトで埋め尽くされて絶頂に楽しかった。


しかし2015年。
私は入院生活を余儀なくされる程、心を壊した。
笑えなくなり、人と会うのが怖い。
毎日涙が止まらず、食べることも出来ない。
そんな生活の中で、体調を崩す前に申し込んでいたエイトのライブが当選していた。
当然こんなんじゃいけるわけがない。譲ることを考えたが、自分の精神状態では取引すら出来ない。
当時の自分の状況を心配し、私がエイトがどれだけ好きかを分かっている母は
『もし関ジャニに会うことで少しでも気分変わるならついていくよ』と、ギリギリまで悩んだが空席を作りたくないという思いとやっぱり心の支えだったエイトに会いたいという思いから母についてきてもらって参戦した。

関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!
当時の私にこれ程あうタイトルはなかっただろう。
萎縮しながら、不安と戦いながら見たライブ。
『元気が出るSONG』を聞いた瞬間涙が止まらなかった。
彼らを見て、生きよう、頑張ろうと思えた。

そのライブを機に少しずつ体調も良くなり、
新たな道に進むことが出来た。
エイトがいなかったら今も暗闇から抜け出せていなかったかもしれない。

そこから体調が回復してからは親友と旅行も兼ねて遠征を沢山した。
親友と入るライブが何より好きだった。


絶頂に楽しかった毎日に2018年4月。
突然ピリオドが打たれた。
2度目のどん底。すばるくんの脱退だ。
発表当日は泣いて泣いて、信じたくなかった。
何より関ジャニ∞にいるすばるくんが大好きだったし、彼の言葉に何度も救われてきた。
会見は放心状態で見た。丸ちゃんが眼鏡をかけて参加した理由にもまた泣けて。
どれだけ泣いても涙が止まらなかった。
そこからの3ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。
関ジャニ∞のすばるくんへの愛を感じた3ヶ月だった。尚のこと辞めないで、と。嘘であってほしいと何度も強く願った。
最後の関ジャムはこれまた死ぬほど泣いた。
時間を置いてその後も何度か見返したが、
今なお何度見ても涙が出るくらい、
最後のeighterと叫ぶ姿は忘れることが出来ない。
すばるくんの脱退については書き出すともっと長くなってしまう為、今回は省略する。

6人になってからの関ジャニ∞は、安田くんの怪我もあり、見ている私たちの方が辛くなるくらい、必死に、がむしゃらにそれぞれに色々な思いを抱えながら走り抜けていた。
そして翌年。亮ちゃんがグループを去った。
信じたくなかった。関ジャニ∞のメンバーに囲まれて笑う亮ちゃんがだいすきだった。
すばるくんの時とはまた違う、あぁ亮ちゃんまで、、という涙がつーっと溢れた。
残された5人が心配で仕方なかった。

立て続けに2人が去ってしまい、私たちの想像を絶するほどの辛さと苦しさがあったはずなのに、彼らは止まらなかった。止まったら動けなかったのかもしれない。
映像特典で『びびって後ろにコケんと、前にコケよな。』『俺はまだ全然諦めてないから。』と口にした彼らを全力で応援したい、強く思った。
そんな彼らに心配のことばを口に出すことは出来なかった。それくらい彼らは懸命に走っていた。

18祭。7人で見上げた花火を5人と見上げた時。
涙が止まらなかった。
関ジャニ∞を守り続けてくれて、走り続けてくれてありがとう。

そして2023年。
どんなことがあっても、幾度とない試練があっても守り抜いてきた『関ジャニ∞』という看板を下ろすことになった。

ライブで『最高で最強の関ジャニ∞』と手を繋いで叫ぶあの温かい空間が何よりもだいすきで幸せだった。
関ジャニ∞という名前がだいすきだった。
何があったって関ジャニ∞という名前だけは続いていくと思っていた。

亮ちゃんが昔言っていた
『永遠なんてない』
本当に嫌だと思うほど体験してきたけど、
それでも願ってしまってでも、やっぱり実感した。

何度も会議を重ねても、なかなか決まらなかったと。
変えなきゃいけないのか、このまま行くのはダメなのかと私たちと同じ想いをメンバーが持っていてくれていたことが嬉しかった。
新しく名前が決まった時、安田くんが涙を流したと聞いた。
私たち以上に関ジャニ∞に思いがあるメンバー。
これまでどんな時も乗り越えてきた彼らだから、今回も絶対正解にしてくれる。

関ジャニ∞は私の青春、人生そのものでした。
どんな時も支えで生きる力でした。
関ジャニ∞を好きになって本当に良かった。

数時間後には新しい屋号になる。
彼らが悩みに悩んで決めた名前だから、関ジャニ∞と同じくらい愛していくよ。
誰よりも愛していた関ジャニ∞から次のステージへ。
思い出も想いも言葉も全部全部忘れない。


2002.12.18〜2024.02.03
関ジャニ∞    ありがとう。

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