私が見た南国の星 第5集「走馬灯のように」⑮
今年の中秋節は9月10日らしいです。いろいろなお店に、月餅が並ぶようになりました。味も大きさもそれぞれですが、どれもカロリーは高そうです。
日本人と中国人では美味しいと思う味は違うみたいで、私が美味しいと思う物と、中国人の友人たちの美味しいとはちょっと違うようです。
再び日本へ
8月7日から、私は日本へ帰国する事になっていたが、なぜか気乗りがしないまま数日が過ぎてしまった。今回の帰国は、ホテルの権利書を社長から頂くためだったので、2泊3日だけの滞在予定だった。国土環境資源局の検査の折、権利書が会社になければ罰金が科せられると言われたのだった。この件についても納得出来なかった。経費も掛かるので帰国したくはなかったのだが、郵送の場合は、紛失ということも考えられるので、仕方なかった。
本社会議で、売却に関しての報告を済ませ、社長から権利書を預かったが、売却に関しては難しい状況であると社長も理解をされたようだった。また、副社長の松岡氏が売却に反対だったので、会議は思ったよりも時間が掛かった。最終的にホテル売却は中止となり、客室を増やして営業を続ける事になった。しかし、資本金の変更や増築資金の問題もあり、スムーズに行くとは思えなかった。覚悟を決めていたが、内心は気持ちが落ち着いたのも事実だった。増築にあたり、今度は資金作りの問題も発生する。結局、海南島へ戻ればこの問題について苦しむ事になってしまうだろう。
月餅
夏も終わり、海南島にも朝夕の涼しい風が吹いて、秋の気配を感じる頃になった。暫く何処へも出掛けていなかったので、久しぶりに町に出てみた。例年のように、町では月餅が店先に並び賑やかな曲が流れて、お祭り騒ぎだった。今年の中秋も、この島で過ごすとは夢にも思っていなかったので、社員たちへの月餅を買うことが楽しくてならなかった。
「ちょっと、この月餅を試食しても良いですか」
と、店主に尋ねると、
「どうぞ、これは安くて大変美味しいですよ!」
と、店主は笑顔を見せながら、試食用の月餅を差し出してくれた。一口食べると、
「わぁ~、何てまずいの」
口から吐き出してしまうほど、何ともいえない変な味がした。しかし、店主に対して失礼だと思い、急いで飲み込んだ。口の中では異様な味が漂っていたので、思わず、
「馮さん!こんなものは、いくら社員でも可愛そうだわよね」
と、彼女に言った。すると、
「そうですか?中国人は、この味でも満足できますよ。値段の割には美味しいと思います」
と言って、彼女は平気で食べてしまったのだ。私には、とても信じられない光景だった。こんなにも味覚が違うなんて、やはり生活習慣の違いなのだろう。とても安かったので、馮さんの言葉を信じて、社員たちに好きなだけ食べさせてあげようと思い、店主に交渉してもう少し値段を下げてもらって購入した。
社員たちが待ち望んでいた「中秋節」の日がやってきた。買い求めてきた月餅の箱を広げて社員に配って歩くと、
「謝謝、ママ」、「ありがとうママ!」
と、それぞれが、両手で大事そうに月餅を受け取り笑顔を見せてくれた。こんな物でも感謝の気持ちで受け取ってくれて、自分の生い立ちを思い出すと恥ずかしくなってきた。小さな月餅を2個、両手の中で大切そうに受け取るなんて、この子たちはどんな暮らしをしてきたのだろう。。日本人の若者たちに、彼等の姿を見せてやりたくなった。今までの数年間、人として彼等に学ぶ事も多かった私だったが、この日は今まで以上に学んだ気がした。いくら先進国で育ったからと言っても、食べ物に対しての感謝の気持ちをいつの間にか忘れてしまってはだめだと思った。生きるためには、どんな物でも美味しいと感じるのが当たり前なのだ。その当たり前のことを忘れていたような気がした。
窓から眺めた中秋の名月は、心の中まで照らしてくれたと感謝した。そんな思いもよそに、秋が過ぎた七仙嶺の山々は、まだ緑に包まれていた。海南島の生活も5年近くなり、この自然の中で生活をしていると、今まで理解が出来なかった事も抵抗なく受け入れる事が出来るようになってきた。しかし、それが怖くなる時もあり、自己嫌悪陥ってしまうこともあった。