見出し画像

おすすめ表示されることも、プラットフォームを利用する側の権利...?

初心に戻って、note では今日見た面白かった記事や、話題になっているニュースの背景などについてひとこと情報を添えるといった、この read / write diary、つまりは「読んだりかいたりしたこと」についてのマガジンを一つの軸にしていこうかと思います。

今日のニュースは、SnapChatを擁するSnap社が、トランプ大統領の陣営の投稿を「暴力的表現を広げるもの」としてアルゴリズム的におすすめに表示したりしないと発表した件です。

これについて、「誰だって発言の機会はあるはずで、それを阻害するのは表現の自由に反するのではないか」という指摘があったのですが、実はもう少し深みのある話題になっています。

というのもSnapは「トランプ陣営の投稿を非表示にする」といったわけではないからです。あくまで、アルゴリズム的におすすめに表示したり、拡散に寄与することをしないと表明したに過ぎません。

トランプ陣営が、「これだけ注目され、シェアされる大統領側の投稿を、それよりもシェアされていないものに比べて差別し、人為的におすすめ投稿に入れないのは不公平だ!」と主張する可能性はあります。短くいうと、「同じようにプラットフォームを利用しているユーザーなのに差別するな!」あるいは「おすすめ投稿に入れてもらうのも利用者の権利だ!」といっても良いかもしれません。

でも果たしてそれが通るのかどうか。少なくとも利用規約的には通らなさそうです。というのもプラットフォームがどのような投稿を「暴力賛美」と定義するか、どのような投稿を表示・削除するかはプラットフォームが利用規約に準じている限りにおいては偏りがあっても構わないというのがSection 230 (c) の 1, 2 条の定めるところだからです。

こうした、非表示にするわけではないけれども、アルゴリズムとして拡散しないというのは、あるいはFacebookが学ぶことができる点かもしれません。

そこでいうと、この話題:

巨大プラットフォームという単位で、自分の倫理感や価値観に近いプラットフォームを人々が選んでいく時代とかありえるのかなと、そうなるとコミュニケーションの分断がさらに進んじゃうのかなと、モヤモヤしっぱなしです。

実際に起こっている現象は逆で、利用規約に対して good faith で投稿を取り締まっている限り、公平性がなくてもいいというのが旧来のSection 230の運用であるのに対して、トランプ大統領が主張しているのは「ツイッターなどのSNSはあらゆるユーザーの投稿が、それがいかにフェイクであったり暴力的であったりしても片方だけを消してはいけない」という話になってます。

本当の分断は、人々が互いに違うプラットフォームを使うことではありません。

同じプラットフォームにいるのに、どんなフェイクニュースも、暴力も、誹謗中傷も戦いに勝つためには是とする人々がぶつかりあい、それを回避するために導入されたアルゴリズムによって互いの投稿がお互いに表示されない、見えない壁が理解を阻む状態と言ってもいいでしょう。

それを避けるには、とにかく発言はフラットに平等に表示されるものの、フェイクとabuseは厳しく取り締まられるという不可能に近いバランスが要求されるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?