「多すぎる情報は良くない」と言い出す人が歴史上何度もいた話題
ペシミストのアーカイブというお気に入りのツイッターアカウントがあります。
これは過去の新聞や本などから笑えるほどに悲観的な未来予測をとりだして紹介するアカウントで、100年ほど前の人々が「未来はきっとこう悪くなる」と、いま考えると微笑ましい予想を立てている話題をつぶやいてくれます。
そのアカウントが、過去に子供の読書が有害だと主張している人々がいたという記事を紹介していたので軽く翻訳して紹介しました。途中でミュートしていたので知らなかったのですが、だいぶバズったんですね...。
途中で痛恨のタイプミス(1963 → 1863)があるわけですが、1863年の新聞からの抜粋です。
この頃もまた、情報が前の時代に比べて爆発的に増え、新しいコミュニケーションが生まれて人々の自由になる情報量が増え、新しい交通網とともに物流が盛んになっていたわけですが、当時の人のなかにはそれを不安に思っていた人もいるのでしょう。こうした教導的な記事が新聞にのることもあったわけです。
こうした「情報爆発」と受け取られる現象はなにもインターネット時代だけに起こったものではなく、はるか昔のルネッサンス時代にも言われたことですし、印刷技術の発達によっても言われたことです。
情報爆発という言葉自体が、トフラーが1970年につけたもので、やはりコンピューターやインターネットとは話が直接関わりません。
情報爆発に対する処方箋は?
情報が増え、娯楽が増え、人々がなにかに耽溺しているからといってそれを悪であると決めつけるのは何度も繰り返されてきたことだとはいえ、それじゃあなにもかも自由にさせるのが理想で他になにも考えなくていいのかというと、おそらくそういうわけでもないでしょう。
すべての本やゲームや漫画が無制限によいものなのではなく、本やゲームや漫画のなかにも記憶すべき良いものがあるからすべてを否定してはいけないという基本があるわけで、どちらの論理も行き過ぎては本末転倒になってしまいます。
そして増え続ける情報、どんどんと少なくなる可処分時間についてなにか対策をとれるとしたら、このツイートのなかの見当外れなアドバイスに一周回って行き着きます。
すなわち「考えること」と「本や漫画やゲーム」とのバランスです。無批判にすべての本やゲームがよいものとするのではなく、自分の心を捉えて話さないこれは一体なんなのか?と自分自身に問いかける態度です。
結局の所は、なぜその情報が自分を魅了するのかをメモにとり、情報と自分との関係や距離を測ることが、ただしくその情報を受け取り、自分のものにすることにもつながります。
そういう意味では、このペシミスティックなツイートにも、小さな知恵は含まれていたといっていいでしょう。
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