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リストは思考を飛躍させる「輝ける雲」である (往復書簡 No.2)

この記事は、ブログ R-Style の倉下さんとの往復書簡形式のnoteです。拙著「リストの魔法」の発刊にあわせて「リストとライフハック」というお題で記事をいただいていましたので、そのアンサー記事を書いていきたいと思います。

ここからどのような流れになるのかまったく不明ですが、こうしたやりとりをおこなうことができるのもnoteの一つの使い方ですので、お楽しみいただければと思います。

リストとライフハックについて

倉下さんへ。

丁寧な記事ありがとうございました。「リストの魔法」の初稿ゲラにコメントをいただいたのがもう去年の夏の終わりころだったと思いますが、それとはまったく違う本に仕上がったものをお届けできたかと思います。

さて、この往復書簡という形式については私も思い入れがあります。たとえば私がその考え方に親しみを抱いているカール・ヤスパースはハイデッガーやアーレントと書簡を通して盛んに議論を行ったものが出版されていますし、物理学者のパウリとユングの交わした往復書簡も知られていて、若い頃にこうしたやりとりに憧れつつ読んだ記憶があります。

それはインターネットがない時代、考えが論文や書物で主に伝搬していた時代における気の急いたやりとりだったのでしょう。

逆に、いつでも誰にでも瞬時にメッセージを送ることができる時代においては、あえて発話と思考を遅延させるコミュニケーションとして、この形式は再評価されるべきだと思っています。

互いの言葉が届く前に次のつぶやきが、次の通知が飛び交う世界のなかで、あえて遅くあることを、思考を熟成させながら対話することを選ぶことには、それなりの意義があると思うのです。

ですので、わたしも意識してかつての科学者や芸術家や哲学科にならった文体を選び、一行で言い切られてしまいがちな結論をあえて回りくどく迂回しながら語ることを選びましょう。

それが結局は近道であることを、経験として知っている者同士の礼儀として。

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最初の手紙において、倉下さんはリストについて、それが「情報というものを扱う手つきの、もっとも基礎的な形」としたうえで、リストはライフハックの基本ツールではないか?という点について、またそれが使い方次第で白魔法にも、黒魔法にもなりうるのではないかという話題について触れられていました。

今回はまずその前半について思うところを書きたいと思います。

倉下さんが、ご自身のタスク管理の本、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』に触れて、御本のなかでもリストについて数多く解説した件について言及されたのも、この場合とても適切なことでした。

というのも、私が「リストの魔法」を書き始めるきっかけとなったのも、倉下さんの本への一種の返歌として考えを巡らせたのが始まりだったからです。

しかし、いざ筆をとって、頭のなかにある企画をそれこそリストの形で並び替えたときに、私はもうライフハックやテクニックといったことにほとんど興味がないということに気づきました。

わかりやすい企画を提出するならば、たとえば「リストで仕事が10倍片付くハック集」「リストを使いこなせばこんなに得ができる」といったように、よくあるビジネス書らしくこれを知ればあなたはこんなに得することができるというものを作ることもできました。

それは「あなたはこれを知らなくてこんなに損している」という皮肉を裏側から書いていることに他なりませんが、どうもそういう書き方はもう自分にはできないと思ったのです。

そこで、ライフハックという言葉を知らない、それに興味すらない人々がすでに手にしているツールを手の中で輝かせたいということが最初から目標になりました。

結果的にそれをビジネス書として落とし込む難易度は飛躍的に上がってしまったのですが、どうにかして「リストと向き合う自分」を感じ取ってほしいということが本書の目指すべき山頂になったのです。

そうした書き方をしてもおそらくは大丈夫だという勝算は、タネ本としてエーコの「Infinity of Lists」があったおかげでした。

本書でエーコは芸術作品や、哲学的思考もすべてリストで表現することが可能であること。人間の歴史的所産のすべてはリストに帰納することが可能だということを大胆に指摘しています。

それならば、リストを使うことで仕事を分解すること、思考を分解すること、理念を分解すること、自分を分解すること、といった具合に本の後半になればなるほど「リストと自分」と近づいていく書き方ができるはずだと目算が立ったのです。

章立てをみていただくとわかると思うのですが、本書ではいわゆる「ライフハック」的な部分は最初の3章で終わってしまいます。

・リストと仕事(タスク管理)

この話をいわばわかりやすい滑走路にして、そこからは「リストと思考」「リストと自分」というテーマへと、あくまでビジネス書としてのメリット感を出しつつ書きたくなったのです。

ですので、本書はいうなれば逆立ちした自己啓発書といってもいいのです。重要な答えはすべて読者が自分で生み出さなくてはいけない、詐欺のような自己啓発書です。なにせ私が提供するのは、小さなリストというツールだけなのですから。

そういうわけですので、わたしたちはリストをライフハックのツールという軛に留め置くことはやめておくことにしましょう。むしろ、理解できなかった本を理解するための足がかりとしてのリスト、思考できなかったものを思考するための白紙としてのリスト、不安を投げつけるための壁としてのリスト、自分自身を描くキャンバスとしてのリストの話がしたいと思うわけです。

おそらくだれもが、これまで届かなかった思考の場所に到達できたときに、なんらかのリストを使っているからです。

正確な引用を覚えていないのですが、モンテ・クリスト伯爵のシャトー・ディフの獄中のシーンでファリア神父が不遇のエドモン・ダンテスに次のようにいうシーンがあります。

「哲学は習えぬ。(中略)哲学とは輝きわたる雲だ。キリストが天に昇ったのもつまりこの雲に足をかけたからのことなのだ」

それならば、きっとその雲の一粒一粒は、リストの項目でできているのではないだろうかと私は夢想しています。


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