書斎には世界の欠片がある
なかなか友達をつくることが難しかった小一の息子が、ようやく同年代の子どもたちから遊びの誘いを受けたり、遊びに誘ったりといったことができるようになってきました。
最近の週末は、予定もなく家でゆっくりとしていると、昼ごはんを食べ終わったかどうかという頃にはもうドアの呼び鈴がなり、小さな男の子たちが「遊ぼう!」と誘いにやってきます。そして空気が暖かければ公園で、寒ければ家でゲームをしてと、愉快に時間をすごすのです。
今週は雨も降っていたので、そんな友人の一人が公園に誘いに来たものの、やはり家のなかで遊ぼうということになって二人でSwitchのコントローラーを振り回して遊んでいました。
なにかのタイミングで、その友人が半開きになっていた私の書斎のドアから覗き込んで、ここはなんだろうかと不思議そうにしていたので、私はどうぞと少年を招きました。獲物がやってきたぞ、という小さな喜びを心に隠しつつ。
「すげえ!」
男の子は部屋に入るなり、自分の身長の倍はある本棚が壁という壁を埋め、すべての棚にぎっしりと本が入っている光景をみて素直に驚きました。
「図書館みたいじゃん」
「そうだね、小さな図書館だけどね」
そして私は「ここにはマンガはあまりないんだけどね」と言いながら、ここには外国の本、ここには日本の本、こちらにはお勉強の本があるんだよと教えてあげました。
私が、多少よこしまな気持ちとともにこの子に与えたかったのは、なにも自分の書斎の自慢ではありません。
むしろ、ほんの短い一瞬の洞察でいいので、世界はこれだけ広いこと、その欠片をこの小さな部屋にもつことができること、そしてなにより少年よ、このすべてが、君がやがて手にする世界なのだ。その写し絵なのだという瞬間の印象や、あこがれの種をまくことでした。
自分の子供たちにも、私は書斎の扉を開けておき、ドラマでみた話題が関係する本はこちらだね、今日出てきた話はこの本と関係しているのだよと、自分のささやかな財宝のひとかけらずつを与えることをしています。
それはその話題や情報がそのまま知識や教養になることを期待してのことではなく、やがて世界とはこうして憧れの欠片を拾い集めてゆく場所なのだということを感じ取ってもらい、ここから踏み出すためなのです。
遊びにやってきた子の目にも、どこかあきれたような、それでもなんだかここにはなにかのヒントがあるような、好奇心のひらめく瞬きが見えるのでした。
そしてすぐに子供たちの興味はポケモンに、公園で走らせるラジコンに、はしゃいで遊ぶ話題に移っていきました。子どもたちにとって欠かせない時間に闖入した書斎の幻影はすぐに印象が薄れたようでした。
でも、いつか自分の子でも、遊びに来た子でも、この印象があなたたちを導く時があるかもしれません。世界に出て、自分たちのちからで道を切り開くとき、本のなかに力づよい味方がいることを思い出すことがあるかもしれません。
それを期待して、静かに私の書斎は、世界中の書斎は、世界中の本は待っているのです。
The world is yours for the taking.
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