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自主隔離の世界で見えてきた「ネット接続は人権」という一面
感染防止で子どもたちが読める電子書籍の無料キャンペーンが行われたり、オンラインでイベントやライブが開催されています。
その一方で、こうした情報へのアクセスそのものが、回線の有無に依存しているという面も見えてきています。
ネット授業だけでなく、私が、授業中にスマホ等から質問等への回答を送ってもらい、授業進めるという手法にためらいを感じていた理由はこれ。そして、ネット授業に関しては、スマホやPCを持っていても、通信量の制限が気になる契約形態の学生もいるのではないか…とか。 https://t.co/Bm7NMJUSv6
— 砂川秀樹 (@H_Sunagawa) March 14, 2020
たとえばネット上で授業を行うにしても、肝心の学生たちが通信量が十分にあるネット回線をもっているか、ひとによってはスマートフォンの回線だけではないかという懸念があるわけです。
YouTube授業も、見放題じゃないわが家では厳しい。ギガを食ったら連絡取れなくなる。 https://t.co/UFiHjml0YA
— うり坊@ちっちゃいおっさん (@uri_boz) March 14, 2020
家庭で固定回線を引いている人には想像しにくい可能性がありますが、ふだんそれほど家にいない、高速な回線ならば大学にあるという学生の場合、高いお金を払って自宅で回線を維持する意味はあまりないわけです。
こうした話題は欧米でも存在して、たとえばディズニーは自宅で見る人がおくなることを想定して、もちろんビジネスの側面もあるでしょうし、自主隔離している人々へのサービスという側面もこめて、Frozen 2の配信早めたりしています。
そしてそれにあわせて、データプランの上限を期間限定で撤廃する会社も登場しています。
よく「ネット接続は人権である」という議論があり、ひとによってはそこまで真に受けてもらえない場合があります。
しかしラジオやテレビが、機械があれば誰でもみることができたのと同様に、ネット接続がいまや情報の主要な流れ方になった以上、誰でもいつでも見られるようにするというのは、基本的なインフラとして認められていい気がします。
世界には、国民に対するネット接続や、特定の話題へのアクセスを制限する国も多くあります。それが行われていないだけ日本はとても恵まれていますが、もう一歩進んで、ネット接続そのものはすべての人々が享受できる権利とした場合、情報流通からやってくる社会の底上げはとても大きいものがあるのではないかと思ったりします。
孫さん @masason はここでソフトバンクエアを配ると喜ばれるのでは‥‥ https://t.co/VuNkgm2xeX
— コグレ|note本発売中[ブロガー:旅と酒とガジェット] (@kogure) March 14, 2020
そうそう。そういう方法もありますよね。
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