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230608 嗅覚、ボルダリング、カロリー

3年ほどのマスク生活を経て、明らかに匂いに敏感になった。マスクをはずして外を歩いていると、この人柔軟剤強めだなとか、この人朝から汗かいてるなとか、そういうことに気が付いてしまう。そこそこ混んだ電車にノーマスクのまま乗り込もうものなら、あらゆる匂いが鼻を通って喉元まで雪崩れ込んできて、ウッとなる。急いでマスクをつける。
元来わたしはこのくらい敏感な嗅覚を持っていて、知らず知らずのうちに、味覚と同じようにその鋭さが失われていっていたのかもしれない。この3年、1日の大半を、自分の口臭と、たまにあるマスクの薬っぽいにおいだけと向き合い続けたわたしの嗅覚は、赤ちゃんの頃のそれに戻ることができたのかもしれない。素晴らしいことかもしれないが、生きにくいからはやく鈍ってほしい。社会はくさい。



先日、生まれて初めてボルダリングというものをやった。想像の何倍も面白かった。楽しいというより、面白いと思った。競技として興味深い。流行っているのもよく分かる。

筋力と身長(=手足の長さ)に依存するスポーツだと思っていたけれど、案外それ一辺倒ではなかった。身長の高さは基本的に有利に働くが、ホルダー同士が近いところでは体が縮こまって動きにくくなるため、柔軟性がないと一気に不利になる。筋力も身長もそこまでない人は、言い換えれば身軽なわけで、そういう人の方が登りやすいコースもあった。
体重と筋力のバランス、柔軟性、身長などなど、たくさんの要素が登攀力に影響するし、どれかが欠けていても別の要素でカバーできそうで、かなり間口の広いスポーツだと思った。老若男女楽しめそう。

登ること自体、もちろん面白かったが、登攀ルートを考える時間もまた面白かった。スタートのポジション取りから、どのホルダーを掴み、どのホルダーに乗って登っていくのか、事前に考える必要がある。誰かが登って、それをみんなで見て、ああでもないこうでもない、あのホルダーは左手で掴まないとそのあと詰んじゃうし、いや、あっちにもう一個あるから、などと話し、今度は自分で登ってみて、これじゃだめだ〜となり……と、トライアンドエラーを繰り返すのは、パズルや謎解きみたいで面白かった。
途中、分からなくなりすぎて、「マリカのゴースト機能みたいなやつないの???」などと喚いていた。ボルダリング用のARゴーグルとか儲かるかな。もうあるだろうか。

考えるべきは登攀ルートだけではない。
同じ時間にジムに居た上級者っぽい人は、壁を眺めて考えている時間の方が長かった。その様子を見て「せっかくジムに来てるのにもったいない」と思っていたが、後にその理由に気がつく瞬間が訪れた。登り続けていると、どんどん握力が低下していくのである。序盤は悠々クリアしていた初心者コースも、後半になるともはやゴールすらできなくなっていた。これでは中級コースなんてゴールできるわけがない。
休憩を挟みつつも、そのままゆるゆると握力は低下していき、結局中級コースはゴールできずに終わった。今回はそのジム最短の2時間利用だったのに、振り返れば1時間半の時点で体力はほぼ0だった。体力配分もきちんと計画する必要がある。

ジムを出たあと飲みに行ったら、ビールのジョッキがいつもの3倍重かった。感覚だけで言えばメガジョッキだった。翌日も腕が上がらないほど筋肉痛になった。

その日一緒に行った人はみんな「また行こう、登ろう」と言っているし、そのうちの一人は翌々週くらいに本当に行っていた。初回より登れるようになった様子を動画で送ってくれて、一層登りたい気持ちが高まった。
ボルダリングの魅力はすごい。



たまに、「摂取カロリーを無駄にした!」と思う。例えば、なんとなく天丼が食べたいときに、お店に行くのも作るのも面倒で、スーパーで安い天丼のお弁当を買って、レンジで適当に温めて食べ、そうしたら思ったより、というか案の定ふにゃふにゃのクタクタの天ぷらで、食べたかったのはこんなのじゃない!結局天丼欲が充分に満たされなかった!それなのに高カロリーなものを摂取してしまった!というときに、そう思う。スーパーの天丼弁当には1%も落ち度はない。自分が求めている天丼レベルの見誤りと、手間とお金をケチったことが原因であり、100%わたしに落ち度がある。レンチンしてもサクサクの天ぷらなんてない。あったとしても安価では買えない。
そのうえ、「摂取カロリーを無駄にした」なんてかなり贅沢な話なので、そう思ってしまったあと、毎度自分が嫌になる。完食をモットーにしてはいるが、食べ物全体へのリスペクトが足りていない。

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