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心理職の立場の弱さ

あと1週間で、3年後期の授業が始まる。
大学生として心理学を学ぶ期間が、早くも残り1年半となってしまった。

私は心理学に関する知識の量でいえば、心理職の卵にさえ満たないようなレベルだが、心理学を勉強していくにつれてひとつだけ分かったことがある。
それは、いまの世の中は心理的支援を要する状況が、想像以上に溢れているということだ。
心理学の知識を要していない人から見ると、心理的支援を必要とする人はほんの一部かもしれない。しかし、心理学に足を踏み込んだ人から見たとき、仕事や学びの場だけでなく、プライベートでも支援を必要とする場面を自然とあちこちから見聞きする。

「まぁでも、昔に比べるとだいぶ心理学も世の中に浸透してきた方ですよね。心理師を置く業界も増えてきてるみたいだし。」

そう助手の先生に話したが、先生が言うには実際は心理師の立場はいまだに弱いらしい。教育現場でさえスクールカウンセラー(SC)を設置していない学校があり、設置しないのではなく、設置されていたSC4人が全員クビになったマンモス校もあると聞いた。
私は驚きが隠せなかった。

私はどの学校にもSCは必須だと考える。
虐待やいじめなど、普段から日常的にストレスを負う状況にある子や、勉強がついていけないなどと悩む子はどこにでもいる。その子どもたちの支援をSCは担うわけだが、もちろんその一部の子どもたちだけのためにSCはいるわけではない。

生徒の自殺、教員の不祥事など、ひとつの出来事で多くの生徒に心の傷を与える場合、緊急支援と呼ばれる支援を必要とされる状況になる。緊急支援を行う場合、SCは直ちに他の学校でのカウンセリングや仕事を全てキャンセルし、一定期間は緊急支援のみに集中することになる。
教員には生徒に対してどのような対応をするかといった指導を行い、生徒の状況を把握し、特に支援が必要と考えられる子にはカウンセリングを順番に行う。また、なぜこのような事件が起きたのかという事態の把握も必要な仕事の1つだ。
今回の話をしていた先生も、初めての緊急支援では始発で学校へ行き、ただ必死に緊急支援を行い、21時頃に学校を出るという生活を1週間したと話していた。聞くだけでもかなり壮絶な現場だ。

このような支援が必要になる可能性がいつあってもおかしくない教育現場で、まだ心理職の立場が認められない。この現状を聞いた私は、開いた口が塞がらないとはこのことか、というくらいの気持ちだった。

では私たちはこの心理職という業界で生きていくとして、どうするべきなのだろうか。この心理職の立場が弱いという世の中で「しょうがないね」と言いながら支援をするのだろうか。
私は違うと感じた。
まだ心理的支援の必要性は薄いと捉えられる中、私たちが心理職の未来を切り開くべきなのではないか。誰かの助けを必要とするひとがいたとき、心理専門職がいつでも心理学的観点から支援を行えるような立場を作らなければ、何も始まらないのではないか。

「現場を知らないやつが何言ってるんだ。ただ大学や大学院で、心を学問として扱ってきたからといって、現場はそんな簡単に改善できるものじゃないんだ」

こんな言葉をかけられたこともあるとよく聞く。そうなのかもしれない。実際の現場はそんな簡単ではないし、心理学しか知らない私たちでは、口だけ強く言ってて結局何も支援できないかもしれない。

しかし、学問や技術はいつだってそうだ。
これを知って何になる、誰の役に立つ、どこに活かされる。そんな立場にあってもなお、新しい知識や技術を身につけ、行動し、上手くいかなければ改善する。試行錯誤の繰り返し、確実な正解などない問題に対して考え続ける。
どんな偉人もこの繰り返しで未来を作ってきた。失敗のない成功は存在しないものだ。


「普通」のひとなんていない。全てが平均の人がいたとして、それはむしろ「普通」でも「平凡」でもない。
誰もが悩み、苦しみ、葛藤し、心に苦しさを感じながら生きていく。その負担が大きくて、誰かの助けを必要としたひとがいたとき、目の前に助けてくれるひとがいればいい。的確な支援を行えるひとがいればいい。どの現場でも心理専門職がいる世の中で、心理的支援を受けることが日常になればいい。

心理学という学問は始まったばかりだ。いまの心理職の道を切り開いてるのは、私たちに心理学を教えてくださってる先生方。そして、これからの心理職の道を切り開くのは、きっといま心理学を学んでいる私や一緒に過ごしている仲間たちである。

この立場の弱さに負けない心理専門職になりたい。そのために私は、心理学を学び、考え続けていく。

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