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10年という時間を経て、物事の見え方が変わったという話〜生活者であり、旅人でもある私を通して〜

6/10-22の約2週間、5年ぶりにアメリカに滞在した。

家族や友達に会ってあっという間に過ぎた2週間は、色々な角度から、自分の心に迫ってくるものがある旅となった。

留学でオクラホマ州にいたのは2012年夏~2013年春。

あの当時、私の目に映っていたアメリカという国の姿と、現在のアメリカをふと照らし合わせながら私は2週間を過ごしていた。
その変化のベクトルが良い・悪いという評価は一旦横に置いておくとしても、ずいぶん違った景色が見えた。もちろん、自分が目にしたアメリカを「どう解釈するか」の幅が、かつてのそれよりも広がったことも影響していると思う。

今回の旅程には、車での旅も含まれていた。

そうだ!
アメリカでの旅といえば、ロードトリップというたのしみ方があることを忘れていた。

車移動中、後部座席の真ん中でポツンと小さくなりながら、留学当時の記憶がよみがえる。

冬休みは、同室で暮らしたルームメイトの実家に泊めてもらった。
それから、クリスマスには親族が集まるからということで彼女の実家オクラホマ州・タルサから、お婆様のいるニューメキシコ州までロードトリップにもご一緒させてもらった。

州をまたいだ旅か〜とワクワクしながら車に乗ったが、途中から全く違う気分に変わる。なぜかって、座っている時間の長さゆえ、お尻が痛くて痛くて!
それから道中では、辺りを見回しても何もないカラッカラッな土一面の辺鄙なエリアでタイヤがパンクしてしまうトラブルが起こった。
どうするんだろう…と思いながら、スペアタイアに交換する作業をした。ルームメイトのお父さんはエンジニアだったから、タイヤ交換は朝飯前の様子で、ホッとしたけども。

英語は不自由だし今以上に内気さもあった私は、何かちょっとでもお手伝いできればと、しずかに、道具を運んだりした。すると、ルームメイトのお父さんがめいいっぱい気持ちを込めて褒めてくれた。あの時、なんだかすごく嬉しかったんだよなぁ、といった記憶が思い出された。

(今回のロードトリップは短めな方だと思うけれど、再び私のお尻は悲鳴をあげたのだった。多分、2時間が限界。)

最近は、日本という国に蓄積する文化をもっと知りたいという気持ちが強くなってきた。何が私にそう感じさせているのかは定かではないけれど、心から、そう感じる。
たとえば、外国から日本を訪ねる友人がいれば、うちでご飯を一緒に食べるようになった。この場所で生活する一人の人間として、衣食住の一部を共に過ごせたらいいなと思ったりする。

初めて訪れたアメリカ以来の10年間は、長いようであっという間に過ぎた。その間に、仕事面でも生活面でも、色々なことが起こった。10年という時間は、ひとの考え方を変えるのには十分な長さであることがわかったのだった。

そして、私たちにはいくつもの顔がある。生活者であることと、旅人であること。この2つには大事な大事なつながりがあるように感じられる。旅というと「遠くへ」と考えてしまいがちだけど、いやいや、今暮らしている東京にもまだ見所があるのだろう。

それにしても。自分の目で見たとてつもなく美しい景色が、まったく写真にはうつりきらない。旅をすると、写真家になってみたいという気持ちが起こる。これは、旅の振り返りの定番だろうか?


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