NEUUにてアニメーション作家・絵本作家である山村浩二氏のVR作品「耳に棲むもの」を鑑賞。昨年のBeyond The Frame Festivalにて見逃していたこともあり、公開後すぐに観に行った。
山村浩二とVR
不勉強ながら、山村浩二作品は「頭山」しか今まで観たことがなかった。
「頭山」では、ケチな男が生きる等身大の世界と頭の上に新たに広がる世界、この2つを視点とスケールを変えながら物語が進行する。今回の「耳に棲むもの」も、少年が生きる世界と少年の耳の奥の世界(さらには土の中、クッキー缶の中)とがあり、視点の移動・スケールの変更は縦横無尽。山村氏が表現したかったことがVR技術によって達成できるようになった(だからこそ、VRで新作に取り組んだ?)と感じた。
音が聴こえなくなるということ
涙を流すと、耳の奥に住む音楽隊の演奏が聴こえていた少年時代。成長するにつれ、涙を流すことも孤独な声を拾い集めることもなくなり、かつての少年はいつしか音楽隊の演奏が聴こえなくなってしまう。
ここでは、音が聴こえなくなるということが大切な心、感受性を失うことと重ねられているが、歳を取って可聴域が狭まり、他の人は聴こえているのに自分だけモスキート音が聴こえないと気付いた時に悲しくなるのは自分だけだろうか…。
耳年齢テスト
そういえば、三島由紀夫の「音楽」も音楽が聴こえなくなる話だった。こちらは性的オーガズムが得られなくなった冷感症の女性が「音楽が聴こえなくなった」と精神科医に相談する話だが….
シナリオの素晴らしさ
本作、兎にも角にもシナリオが素晴らしい。原作・脚本を小川洋子が担当しており、自分などは「博士の愛した数式」をすらスキップしていたため、ここでその凄さを痛感したわけだが、wikiを読んでいてさらに得心した。
本作はVR作品といえど自由に動き回ることなどはできない。クッキー缶の中の視点で、少年が拾い集めた物を一つずつ掴んで、少年がノートに書き記した来歴やネーミングを確認するというのが数少ないインタラクティブ要素となる。ただ、その描写が惚れ惚れするくらいに素晴らしいのだ。モノの徹底的な描写を通じて、少年の心が浮かび上がってくる。(あまりに凄すぎて、自分等「この少年、絶対作家になった方が良い」と思ってしまうほどだった)
追記
Real Soundに取材記事が出ていたのでクリップ。
講談社VRラボ代表取締役・石丸健二さんがエラすぎる。
こちらの記事によると、パーソンズで学び、ポリゴン・ピクチュアズにいたかたとのこと。