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 「ピュリッツアー賞」の価値。

トランプ暗殺未遂の瞬間を撮った写真をトランプが活用、
Tシャツその他に商品化、大好評、
「強いリーダー像」「奇跡の一枚」
おおいに売れているそうです。
 
あの写真、謂われているように2021年にピュリツァー賞を受賞したAP通信のカメラマン、エバン・ブッチの作品です。
 
ブッチの作品は星条旗が右上方、垂れ下がっているように撮られていますが
トランプは自分の顔のバックにくるようにアレンジして使用しているようです。
 
余計なことですが、あの著作権はどうなっているのでしょう。
AP通信は、トランプのプロパガンダに利用されることを承知して許可をだしているのでしょうが、
それって「報道機関」の姿勢として、アメリカでは普通の事なんでしょうか?
 
写真に詳しくないわたしはピュリッツアー賞の何たるかを知りませんが
例えばベトナム戦争で南ベトナムの将軍が捕らえた「ベトコン」を後ろ手目隠しをして銃殺しているシーンの写真や
日本人(沢田教一)が受賞した、おなじくベトナム戦争で川の中を母子で逃げるシーンを写した写真が、素人のわたしにも記憶に残る処です。
 
何れも「戦争の悲惨さ」をテーマに、見るものを戦慄させ、哀れみを喚起する写真です。
 
今回トランプの写真を撮ったエバン・ブッチ、
ピュリッツアー賞を獲った写真を見てみたのですが
何年か前、白人警官に首根っこを押さえられて黒人が死亡した事件、
「Black Lives Matter」運動のきっかけになった事件に抗議する人たちを写した一連の報道写真で、
 
どれもさすがに構図が考えられていて、(トランプの写真とおなじだ)
小津の写真(映画)同様、多くがローアングルで、
演出効果を狙ってでしょう、逆光とか、反射を使った写真が多く、
見るものをよりエモーショナル(情動的)に、センチメンタル(情緒的)に、感情を揺り動かすように捉えています。
 
おそらく、そうした瞬間を辛抱強く待ち、
あるいはその瞬間に、咄嗟に計算してシャッターを押すのでしょうが、
その瞬間の「判断力」が優れているのでしょう。
 
ピュリッツアー賞は、そうしたエモーショナルな写真、人々に「感動を与える」写真を「写真の力」として、顕彰するのでしょう。
特に 「悲惨」⇒「感動」 が、ピュリッツアー賞のお家芸みたいです。
 
日本のマスコミでは「ピュリッツアー賞」を高く評価、素晴らしい権威のように扱い、誰一人、その価値を否定しませんが、
わたしは、ピュリッツアー賞のこうした考え方、姿勢に反対です。
 
写真はあくまで「客観的」であるべき、
特に報道写真は「歴史の証人」として、時代の1シーンを客観的に切り取って静止画(still)にすべきだと思っています。
 
ちょうど報道、ニュース読みのアナウンサーが、
プロレスや野球のアナウンサーみたいに感情をこめて、聞く者を興奮させるような実況をしてはいけないように。
 
果して「報道写真」のカメラマンが「ピュリッツアー賞」を狙ってるのかどうか知りませんが、
普通にシャッターを押さないで、
「ベスト・ショット」、
よりエモーショナルを狙って
「より悲惨な瞬間」を欲しがって、狙っているとしたら、
なんと卑しい精神、心根でしょう。
 
感情を排した、
政治勢力、トランプなどに利用されない写真こそが「報道」の名に値する写真であると
小さい頭で考えたりしています。
 
パピプペ・ポロポロ。
 
(2024.7.21.)

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