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料理好きのアロマセラピスト@神戸のプロフィール

○京都の短大で、栄養士免許を取り、就職先できた食品会社で、新商品開発で試作と試食の日々。

22才の時に、このレシピに決まらなければ会社を辞めると豪語して、無理くり世に出た商品。

「業界の味覚」と一目置かれていた上司の推しではないレシピ採用で上司に嫌われ、当時していた夜バイトが会社にバレたりで、その数カ月後に退職することになったものの、商品は発売から28年経った今もスーパーに並ぶ。

○退職後に取った管理栄養士として病院に勤務したのは、阪神大震災後の1年半。
私が目指すところと違うと感じ。

○その後、フラメンコにハマり、バイトかけもちでフラメンコ習ったり、有名アーティストの来日公演を観に行ったり、スペインに1ヶ月滞在して各地のフラメンコを観に行ったり。

色々と観た中で一番衝撃を受けた、フラメンコ歌手の、
故マヌエル・アグへータとパートナーの花那子さんの公演を、花那子さんのご出身地の仙台に観に行ったことから、仙台とのご縁が始まる。

その10年後から東日本大震災までの2年半を、娘と二人で仙台に住むことにつながっていく。

○神戸で4年半、仙台で2年半、自宅でアロママッサージ、クリスタルヒーリングなどを組み合わせたヒーリングサロンを運営。

○仙台の自宅兼サロンが、震災被害で引越し必須となり、阪神大震災を被災した西宮市に当時10才の娘と引越す。

以後、サロン廃業し、娘が専門学校を出て独立のタイミングで、13年ぶりの神戸に1人で引越し、10年ぶりにヒーリングサロン再開。


○ヒーリングを初めたきっかけ

妊娠後から繰り返していたヘルペスが完治したことでアロマにハマり、アロマ製品のネットショップ運営と前後しつつ、ヒーリングにも興味を持ち始める。

アストロカートグラフィという、出生時の惑星の配置により、世界中の自分のラッキープレイスを割り出す西洋占星術による自分のラッキープレイスで算出の宝石でジュエリーを作ってくれる会社を知り、
問い合わせる。

私のグラフを観た鑑定士が、
「ハワイがここまでラッキープレイスな人は見たことがない。ハワイを木星が通過する2003年11月に、必ずハワイに行って!」

と、あまりに興奮した様子でおっしゃるものの、当時3才の娘がいる身。

諦めていたのに、なぜか娘と2人で2003年11月にハワイに行くことができ、ボディーワークの手ほどきを受け、感動。

帰国後にAEAJアロマセラピスト資格を取得。
その勉強中に、近所のママ友への施術がきっかけで自宅サロン開始。

やるほどに、魂が色々と思い出す感覚があり、施術を受けて下さる方が、誰であれ、同じ尊敬と祝福の中、全肯定で施術をさせていただけることが、

普段、さまざまにマニアックな私にも、まとも人間な部分があるんだと、しばし安堵させていただける貴重な人生の時間です。

私が、一番波動が高い時間なのだと思います。
施術を受けて下さる、すべての皆様に、限りない感謝です。

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