自分を信じるそれが自信

直感で生きているヒトは生きる基準が自分の中にある。
常に自分と対話している。だから誰とも比べないし誰に何を言われても信念を曲げることはない。
養父市の市長さんにお会いしたのはもう5年ぐらい前だろうか?年齢的に決して若手市長とは思えないのだけど考え方と行動がとにかく若い!
SNSだってFacebookに始まり、Twitter、Instagram、最近はYouTubeでも配信し出している。
ヒトはある程度立場が出来ると守りの姿勢に入る人が多い。その理由はなんとなくわかる。批判されるのが怖いというよりも、立場的に周りに迷惑をかけるのではないか?と、なってしまうのだ。

例えば首長がSNSで炎上したりすると市民からバッシングされて次期選挙で敗北なんてこともあるのだ。敗北が怖いのでなく、それまで積み上げてきた町のための事が全て無となる事が残念なのかもしれない。
日本には「出る杭は打たれる」ということわざがある。一方で「出過ぎた杭は引き抜いてもらえる」という言葉もある。

今回のご縁のきっかけは
NPO法人ママの働き方応援隊のメンバーのママさんが、パートナーの実家の仕事を継ぐために家族でUターンしてきた事から始まった。

しかしながら、実は養父市には私自身20年前に10年間ボーイスカウトのリーダーとしてスキーにキャンプに100名ぐらいの集団で毎年通い詰めた地なのだ。

東鉢伏の桂屋さんという民宿で冬はスキーや鎌倉体験!猪鍋が美味しかった。
夏は川魚を放流してもらい子ども達とずぶ濡れになりながら取った魚をその場で焼いて食べた。そして、古代村では古代人になりきって大人も子どもも盛り上がった。
そんな大自然に抱かれた沢山の体験をさせてもらった養父の地。そこに再びご縁がつながったのは「赤ちゃん先生」がきっかけなのだ。

自分の子育て期はあまり熱心な母親ではなかった。24歳25歳で2人の子に恵まれ、まだまだ悪い?友達とも遊びたいのにいつの間にか「ママ達」との交流が増えて違和感を覚えながら3年間公園とスーパーと自宅の行き来の生活だった。
そして、やっと社会と繋がったのは大手化粧品の販売の仕事。働くのが楽しくて仕方なかった。子ども達とは友達のような親子を目指した。子ども達はそんな関係をどう思っていたのか?今度聞いてみよう(笑)

転機は初孫ができた時
「赤ちゃんのチカラ」をらまざまざと見せつけられたのだ。我が子の時は大変さが先にあってそんな余裕はなかったのだろうけど、立場が変われば赤ちゃんという存在を俯瞰して楽しむことができる。

既に小さな会社を作っていた私は孫が待機児童になったのをきっかけに嫁に子連れ出勤をしてもらったのだ。
初孫は女の子!銀行に行くのも役所の手続きもベビーカーを押して孫ののんたん連れで行った。会社の事業は女性起業家のコンサルだったけど、ギラギラと仕事をしている女性たちとは反りが合わなかった。

孫と一緒に仕事をしていると目の前の大人達の態度が一変する!
直感で「今の日本に必要なビジネスが創れる!」と感じた。
その後様々な面白い現象?が起こり2012年に「赤ちゃん先生プロジェクト」が産声をあげた。
今回養父市と内閣府からの予算をいただき
オンラインでの妊活フォーラムを全国で開催していく。赤ちゃんが欲しいすべての人に聞いて欲しいフォーラムとなる。
赤ちゃん先生の次のステージが動き出したのだ。初孫ののんたんは今は中学2年生。とても優しくて思いやりに溢れた女の子になっている。
あの時NPOの理事会で猛反対された赤ちゃん先生プロジェクト!それでも、自分の感を信じて行動したらまるで宇宙が味方してくれたように次から次へとシンクロが起きた。
自分を信じる
実は物事が動き出すことの最初の一歩は
自分を信じる事なのだ。

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