自分の最期とは
3日前ほどに見た夢のお話。
自分は癌だった。治らないと言われて家に戻された患者。ベッドにいるわけではなく、実家のリビングに座っていた。
身体はだるくて、とても眠かった。
眠くてしんどくて、でも眠った時が自分が死ぬ時なんだっていう感覚があった。
だから寝ちゃいけないし、深呼吸して、落ち着いて、目を覚ますように気を張りつめていた。
心臓がどきどきして、どちらかというと緊張のような感覚だった。
側には両親がいた。
いつも通りお父さんは新聞を片手に持っていて、お母さんはストーブの前に座って、二人でこっちを見ていた。
二人とも心配そうな顔でこっちを見ていた。落ち着いていたけれど悲しそうな表情だった。
私は両親の前では強がってしまう。だからその時も強がっていた。
「大丈夫?」と聞かれて深呼吸しながら「うん」と答えていた。
とにかく私は眠らないように必死だった。寝たら楽になるんだろうけど、でも何も無くなるのが怖くて、自分が眠った後にどんな風になるのか自分で分からないことが怖くて。漠然と、まだ居なくなりたくないって、強く思っていた。
何回も深呼吸をした。
いつ死ぬんだろう、いつ意識を無くすんだろう、いつ耐えられなくなるんだろう、身体だけ残るって一体どういうことだろう。意識が無くなるというのは一体何物なんだろう。
自分はいなくなるんだ、何もかも感じなくなって、何もかもしなくなって、誰にも会えず、好きな人たちのそばにいれず、未来が無くなるんだ、これからは何も分からず、何も知ることはないんだ。
そんなことを考えていた。
多分怖いけれど両親の手前、大丈夫大丈夫と言っていた、そんな感じ。
頼れる人のそばであれば多分泣いてはいた。
起きた時、あ、自分は生きてられるんだと思った。
これからどんな経験も出来るし、楽しいこと嬉しいことも感じることが出来るんだ。周りの最愛の人たちと会えるんだ。
安心した。
自分が死ぬんだという体験はすごく怖かった。
でも死を理性を持って感じることが出来たというのは幸せだったと思う。
もし今この場で倒れたら、もし外に出て車にはねられたら、もし寝てる間に意識がなくなったら。
何も感じないまま、考えもしないまま、誰にも会えずお別れも言えず、いきなり明日が来ないということなのだろう。
日々考えていることなんて、寒いなとかお腹すいたなとか部屋掃除しよ、とか、服欲しいなとかそういう些細なことしか考えていないのにいきなり何もかも奪われてしまうことになるのだろう。
考えるだけで胸が苦しくなって涙が止まらなくなる。耐えられない。
夢を見たことで改めて自分は幸せなんだと実感した。もし急に死ぬことがあったらそれは避けられない運命なんだろうけれど、でも慌てて出ていかないとか日々の食事運動をしっかりするとか、丁寧に出来ることはあるだろう。
簡単な言葉だけど、毎日を精一杯生きよう。
そしてたまにはこんな風に自分の怖さや弱さを吐き出して現実は楽しく生きよう。
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